2021年6月17日木曜日

続わたしのカミさん

こんにちは、夏の積乱雲と雨雲が同居した不安定な天気で、気温は低くはないですが時どき雨が降って雷が鳴っています。



今日はカミさんのことの続きを書こうと思って昔を思い出していましたが、恥ずかしながらまあ足が地につかないというか、紆余曲折のわが人生を先に簡単に紹介しますね。

新潟の高校を出て👉 名古屋近郊の化学工場で夜勤もある3交代をやって4年で辞め👉 22歳で新潟の実家に戻るも👉 アルバイトしながら大学に行こうと東京都板橋区へ

👉 横浜の大学に受かって横浜市神奈川区へ引っ越し(ここで23歳)👉 ほんとにバイトばかりやりながら大学生活👉 社会人で年上のカミさんと横浜線沿線で出会う

👉 横浜市港北区妙蓮寺というところのアパート(風呂なし家賃2万3千円)で同居生活(この時48年前、当時貧乏な同棲時代というのが流行っていた)

👉 風呂がないので南こうせつとかぐや姫の『神田川』を地で行っていた👉 27歳で卒業したときカミさんと籍を入れる(この時45年前です)👉 結婚式は上げて挙げていないんです(;´・ω・)

👉 卒業とともに東京都武蔵野市のアパートに引っ越す(風呂付1DK家賃6万円)👉 新卒で勤めた会社を辞め、40過ぎて定年まで勤めた会社にたどり着くまで、いくつも会社を変わる。

👉 武蔵野市のアパートから多摩ニュータウンの賃貸に入り👉 ある会社に6年間勤めていた時に多摩永山の分譲マンション(85㎡3LDK)を買う

 👉 その会社を辞めて脱サラしたが失敗(世の中バブル時代でしたね(・・💧)、ローン払えなくなり差し押さえられる前にマンション売却

👉 その後会社員になり、勤めた会社を3つ数える。

👉 2つ目をやめた時、自分には何の能力も力もないもないと悟り、首都圏と言えども小さい町の中小企業にたどり着き、65歳まで23~4年勤めて定年リタイア。

👉 それから7年⇦(今ここで71歳、来月72歳💧)

人の結婚式には20回以上出席した、結婚式も挙げていないわれわれですが、曲がりなりにも50年近く、喧嘩もしないで一緒におります、ハイ

さてカミさんなんですが、こんな頼りない私にこの48年間文句も言わず、文句も言いつつ自分も60歳まで働きながら、人生の大半を一緒に付き合ってきてくれたんですね。

ストレスも溜まっていたんじゃないかなあ~。

ただ多摩ニュータウンのマンションを売るときに泣いていたのが、私にとって一番の後悔で、今でも忘れられません。

これだけでも頭が上がらない。
いいカミさんで頭があがらないですわ😅

女性のほうが平均寿命が長いので、年上のカミさんと私と平均余命というのが大体同じになるんですね。
ただどちらが先に逝くかは神(仏)のみぞ知るですが・・・。

48年前の夏、横浜線某駅前の喫茶店で私は中村雅俊の真似をして下駄で、彼女は赤っぽいトウモロコシのような髪でニコニコしていたことを思い出します。

その後時々、あの時は『トウモロコシあたま』だったね(^^;)と、いじっていた年上のカミさんはもう後期高齢者、私もあと3年で追いつく・・・。


平穏な日々の今思うことは、一生の分の苦労をすでに掛けてしまったので、カミさんに私の老後の面倒を見てもらうのは申し訳ない、1日でもカミさんより長生きして、カミさんの面倒を自分が見よう(見たい)、ということでこれは本音できれいごとではないのです。

最近いつも読ませていただいているブログで、奥さんがなくなったという記事を読んだりして、わが家でも平穏な日々が崩れるのは、そんな先のことでもないような気がしています。



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