2019年4月10日水曜日

『令和おじさん』の画像には親しみを感じる人もいるようです

「平成最後の」桜の花の満開も過ぎて、気温が下がるのは予測けっこう本格的な「平成最後の」雪が降ったので朝からややびっくり(゚Д゚;)
ひらひらとしたボタン雪でした。

「平成最後」がまだまだ続く今日この頃ですね。

4月1日に、菅義偉官房長官(※Wikipedia)が、「新しい元号は『令和』であります」と新元号を発表して10日が経ちました。

あと20日ほどで新元号『令和』を迎えることになり、どんな時代になるか楽しみなことでもあります。

新元号を発表する菅官房長官

平成の元号発表の時は、当時の小渕恵三官房長官が『平成』の墨書を掲げている写真と共に「平成おじさん」として国民に浸透しています。

今回も新元号発表は前回を踏襲し、菅義偉官房長官が上の写真のように発表されたのですが、写真でもかなり緊張されていたのが窺えます。

今回の新元号発表で、菅義偉官房長官は『令和おじさん』と呼ばれることになると、わたしも含めて予測した人が多くいたと思いますが、『令和』になる前に既に巷では『令和おじさん』と呼ばれているようです。

この投稿4行目の菅義偉氏のWikipediaの記事を見て頂くと、氏の経歴が載っていますが、東北の農家の長男に生まれ、高校卒業後夢を持ち上京してダンボール工場で働いたものの2か月で辞め、2年後に私立大学で一番学費が安かった法政大学に進学し、卒業後は政治家を志し、市会議員から政治活動を始められ、今日(今日)があります。

わたしと菅義偉氏とは比較にもならないのですが、菅氏とは1年下の年齢で、高校卒業後就職し工場に勤めながら、大学に進学した経験があるので、その頃の菅氏の心境が良く分かるような気がします。

菅氏は当時最も学費が安かった法政大学を選ばれたということで、氏の経歴は以前から知ってはいましたが、私の当時の境遇に似ていることが若干の親近感につながっています。


わたしは高卒後4年間勤めた会社で、進学するための資金を貯めて、当時自分で調べて最も学費が安く、自分のレベルに合うと思われた横浜市の市立のK大学の法学部に入学することができ、返還が必要な奨学金を受けながら勉学に励んでいました・・・。

といいたいところですが、昭和48年(1973年)入学当時横浜市のK大学は、過激な学生運動がまだ収まっておらず、たしか入学式もなかったし、休講や試験の中止も多くも多く、左翼学生が授業を妨害したりで、勉学に励む環境ではなかったようでした。

しかしこれは勉強しなかった学生(わたし)の言い訳にすぎません。
当時のK大は働きながら奨学金を受け、新聞配達をしながら勉強していた学生(同級生にも)も結構いました。

もう一つエピソードがあるのですが、わたしが入学して1年生の時、学内のある会館の会館のところで、ばったりと新潟の高校の同級生のNに遭遇しました。

Nは現役でK大学の工学部に入っていて、4年生になっていました。
「あれっNじゃない」から始まり話がはずみ、住んでいたアパートが近かったのもあり、Nが卒業するまで1年間親しく付き合っていました。

Nは工学部なのに音楽関係の仕事をやっており、卒業後もその関係で仕事をやっていました。
彼が卒業後は疎遠になってしまったのですが・・・。

話が逸れてきましたので元に戻しますと、こういう20代前半の経歴なので、わたしが菅氏に親しみを感じるものであります。
ただその後の進路の結果は、『叩き上げの大政治家』と社会の片隅の一定年退職者という違いは大きいものではありますがね(;´・ω・)

菅氏は70歳といえ、政治家としてはまだ若いので今後もまだ政治家として、国民のためにがんばっていただきたいものだと思いつつ、『令和おじさん』の画像を眺めております。
今日はこの辺で失礼します。

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