2019年3月26日火曜日

AMラジオも去りゆくのかな~?(2)

ものごころ着いたころには、家には下の画像に似たラジオがタンスの上にあり、小学校の時にはラジオが好きな子供でした。
今思うと、親もあまり聞いていたような記憶がなく、わたしが一人で聞いていたようでした。

出典:Pixabay


ちなみにテレビが家に来たのは小学校5年の時でしたが、その後も高校卒業するまで、ラジオもよく聞いていました。

その頃のラジオはもちろんAMで、ほぼ地元のBSN新潟放送かNHK第一・第二放送で、落語や漫才が好きで聞いていましたね。

また小学校4年生の頃、とある法定伝染病に罹り、3週間くらい学校を休まされて、毎日朝から午後までNHKの第二放送を聞いていた記憶が
あります。
現在と違って、第二放送は午前中なぜか子供向けの番組をやっていました。
みんな学校に行っているので家にはいないはずなのに?

中学校に入ってからは、自分でゲルマニウムラジオや真空管ラジオを作るのが好きで、ラジオを聞いていました。

高校時代は深夜放送をよく聞くようになりました。
新潟県の片隅に、深夜になると全国のAMラジオ放送だけでなく、中国語や北朝鮮語の放送、その国の日本語放送も、日本海を渡って良く聞こえていました。

深夜の遠くからのAM放送は、小さなラジオでもそれなりにクリアに聞けました。
今はラジオの深夜放送を生で聞くことはないのですが、オールナイトニッポンや、関西の深夜番組を選んで、YouTubeで聞くことができるので
便利になったものです。

高校の時、AM放送の深夜番組で今でも記憶に残るのは、ラジオ大阪でやっていた、放送作家の 新野新氏の番組ですが、番組名は忘れてしまったのですが、あとで調べたら、『オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に』(1966年~1968年)らしいでした。

その後1978年~1989年まで続いた、笑福亭鶴瓶とのトーク番組「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」(ラジオ大阪の深夜放送)は伝説の番組と言われています。

関東地方以北の人は、新野新氏と言ってもあまりご存知ないと思いますが、関西では誰も知らない人はいない、放送界ではとても有名な方ですよ。

いまでも1935年生まれの新野新氏はお元気で活躍されています。
最近の映像をYouTubeで見ることがありますが、50年以上も前の氏は新進気鋭感があり、深夜放送はとても面白いものでした。
何が面白かったのか、もう忘れてしまったのですが、面白かったのだけは覚えています(;´・ω・)

深夜放送をよく聞いていたにも関わらず、中学高校を通して一度も遅刻・欠席しなかったのは自慢です(;^ω^)

現在でもAM放送は日本で必要だと思うことを書こうと思っていたのですが、子供の頃のラジオの思い出話になってしまいましたので、また続きは改めて書きますね。

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