新潟市の近所の家に比べたら、わりと早いわが家のテレビの出現でしたが、その後1年位までには、ご近所に急速にテレビが普及しました。
⇨昭和30年代の半ば、テレビや遊び
当時の皇太子昭仁親王(現在の天皇陛下)が、正田美智子さんと御成婚され、そのパレードを新潟小林百貨店のテレビで見た翌年です。
それまでは、先にテレビを買った家や、近所のラーメン店などに子供が10人から20人集まって見させてもらっていて、うちの親父も肩身が狭くなり、奮発したものと推察します。
それまで家ではラジオを聞いていて、たまに東映の映画を見に行くくらいだったので、テレビの映像は新鮮でした。
今で言えばパソコンやスマホの出現より、インパクトが強かったと思います。
それから高校に入るまで、完全にテレビっ子で、主にお笑い・喜劇番組を見ていたことが忘れられません。
今思い出しても印象的なのは松竹新喜劇で、渋谷天外、藤山寛美、浪花千恵子、かしまし娘、曽我廼家明蝶・五郎八という喜劇の大スターを輩出しているのをテレビで知りました。
その中でもドラマ性のある、藤山寛美の泣き笑いの演技は圧巻でした。
吉本興業系の方は、現在の「吉本新喜劇」又はその前身の「吉本ヴァラエティ」。
こちらも花菱アチャコ、芦屋雁乃助・小雁、大村混、佐々十郎、平三平、岡八郎、白木みのる、財津一郎、花木京、ルーキー新一などの名前が思い浮かびます。
松竹新喜劇に比べると、子供ながらにちょっと軽い感じがしていました。
小学校の低学年の頃から漫才や落語をラジオで聞いていたもので、家で見られるテレビの画像のお笑い番組は白黒ながら、私の中では画期的なことでした。
今はむかし新潟の片隅のわが家にテレビが来たときから、もう60年近く経ちます。(;´・ω・)
今でも「お笑い」が好きです。
特にわたしの好きなお笑い芸人は、「霜降り明星」の粗品とせいや、「千鳥」のノブと大悟、「サンドイッチマン」の伊達みきおと富澤たけし、ですかね?
こういった話題は、また次回書きますね。
今日も読んでいただきましてありがとうございます。
ブログランキングに参加しています。

にほんブログ村

人気ブログランキング
0 件のコメント:
コメントを投稿