2018年6月9日土曜日

家にも歴史あり 自分篇

先日 不動産情報のネットを、時々徘徊しています (6月2日)
という記事を書きました。

その記事の中で2回家を買い替えた件は、以前にも書いたことがあるのですが、自分の人生ながら綱渡りと言うか、波瀾(万丈)に満ちた思い出になります。

その頃を今思い出しても、「後悔先に立たず」という名言がそのまま当てはまり、自分のリアルでは人に言えない、忸怩たる思いにとらわれる歴史であります。(;´д`)トホホ

1番目に買った、東京多摩ニュータウンのマンションは、バブル時なのに、脱サラ失敗で生活が行き詰まり、ローンが払えなくなる寸前に、売却しました。

バブル真っただ中で、不動産は高騰中でした。
買った価格よりかなり高く売れ、何とか首がつながりました。

と同時に生活を立て直すために、とりあえず賃貸を借り、就職先を捜したのですが、40歳近くなっていた「貧すれば鈍する」がぴったりの私が、入社した会社はかなりのブラックでした。

ブラックの会社にも勤めて日が経ってから、今度はローンを払える自信がついたので、懲りずにマンションを売った残金のうち700万円を頭金にして、「いなか」の方に1戸建てを買うことにしました。
土地60坪、建坪30坪の2階建て。およそ3千万円。

今度は家が落ち着いたので、「ブラックではない」「自分に合った会社」はまだあるだろうと後先を考えずに、会社を辞め就職活動をしました。

バブルも崩壊していたのですが、仕事は「選ばなければ」まだいくらでもある時代でした。
しかし40歳を過ぎていて、特にスキルもない私は、かなり世の中を甘く見ていました。

「選ばなければある」ということは「選べばほとんどない」ということで、探せば探すほど仕事はなくて、ローンで買ったばかりのピカピカの家で、途方に暮れつつ涙が出る思いをしていました。
自業自得なのですがね(;´・ω・)

そんな就職活動をしている中で、社員数20人余りの会社「40歳位まで」という募集をしていたのをハローワークで見て応募しました。

その会社は、社長に対して不満を持っていた中堅の社員が、数名まとまって辞めたばかりで、すぐにも人が欲しかったところに応募したので、すぐ採用ということになりました。

採用になった事をハローワークの担当の方に報告に行ったとき、とても喜んでくれて、「よかったですね、団塊定年おじさんも40を過ぎているので、もう後がないと思ってこの会社で頑張ってくださいね」と励まされた言葉が今でも忘れられません。

その言葉で「どんな厳しいことがあっても、この会社で定年まで勤めて、家のローンを早く払い終えよう」と決心してしまいました。

やはり辞めたいことは何度もあったのですが、平社員のまま60歳を過ぎて、65歳の完全定年まで初心通り勤めました。
これは究極には年金が少しでも多くなるように考えてのことです。

しかしそれ以後も何年かは嘱託でいることもできたのですが、それはお断りしました。

自分のかつての家を思い出すと、その当時やっていた仕事、勤めていた会社が全部の売りに浮かびます。

それ以前も以後も、若かりし頃に苦労を掛けたカミさんの姿が、走馬灯のようによみがえってきます。
(やや古い言い回しで恐縮です)

そのことに、ほとんど愚痴も文句も言わなかったカミさんには感謝の一言しかありません。

ただ最近はすっかりおばあさんになったカミさんが、「あの多摩ニュータウンのマンションが懐かしいね、売らなければよかったかもね」とポツリという言葉を聞くとドキッとします。

そして、人生の最期には、カミさんの介護ができる位、元気に頑張らなくては、と津川雅彦氏が奥さんを亡くした時の記者会見を思い出しつつ、いつも心の片隅にその気持ちを置いています。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。