2018年6月4日月曜日

「男はつらかった」弟のはなし

今からおよそ20年(ふた昔)も前のことです。
常識的だがパワハラ気味の兄と、気が弱く優柔不断気味の弟がいました。

兄は地元の高校を卒業後、東京の”電子”の専門学校に2年間行き、そこを卒業して、1年東京の会社に勤めた後、地元に戻って”電子”関係の1部上場の工場に勤めました。

3歳下の弟は、兄が地元の工場に就職した年に高校を卒業し、兄に習って地元の、やはり1部上場大手家電メーカーの工場に勤めました。

弟はややコミュニケーション障害があるとみられ、会社や人間関係になじめず、そのせいで先輩からいじめられ、3~4年我慢して働いたのですが堪えられず、後のことを考えず退職してしまいました。

その時、兄は弟に「お前は仕事が長続きしない、だらしがない」と強く叱責しました。

弟は就職先を探して、別の会社に入社するのですが、そこでもうまく行かず、1年~数年で辞め、また探して就職するのですが、会社はより小さく、労働条件も悪くなり、また辞めて、兄に怒られます。

田舎なので「お前は近所に恥ずかしいから、もう自宅から出てアパートでも探せ!(`・ω・´)」

弟は30歳もとうに過ぎ、当然貯金もなく、結婚もしなく、いつも兄貴に怒られ、とうとう家も地元も出ていくことにしました。
やさしい母親に、いくらかかなり借りないと、出ていくことができませんでした。

その時私のカミさんは、この弟のことを性格が好きだと思っていて、よく声を掛けていたのですが、地元を出ていくときに「この地元は嫌いだから、2度と戻ってこないよ」とカミさんに言っていたそうです。

しかし今から4年まえに彼の父親が亡くなった時に、1回だけ戻りました。
そして次に戻ったのは亡くなってからでした。

花粉症の弟は、自分にとって「花粉症がなく、とても住みやすい大好きな北海道」にたどり着きました。
そこで自分に合った仕事を見つけようと思いましたが、なかなか無くて、パート・アルバイトをしながら、生活していました。

頑張った末、介護の職にたどり着き、まじめに働いて資格も取って、自活もできました。

しかし自炊はできず、食生活は不規則で、タバコの本数は減らず、血圧・血糖値がだんだん高くなっていたのが原因か、今から3年前に自宅アパートで、誰にもみとられずに、突然くも膜下出血で帰らぬ人になってしまいました。

弟は40年を目前にして、短かった人生を、好きだった北海道で終えました。
この弟と私は付き合いは特になかったのですが、私と同じような職業に関しての環境があり、時々気にかけてはいました。

会社から実家にも連絡があり、やさしい母親と兄は北海道まで行き、その地で荼毘に付し、遺骨を地元に持ち帰り、改めて葬儀を行いました。
そして弟の遺骨は、あまり好きではなかった地元の、先祖代々のお墓に納骨されました。

3年前のことで、私もその「弟」の葬儀に親戚として出席し、納骨にも立ち会いました。
兄は「弟は好きだった北海道でなくなり、本人は本望だったと思う」と言っていましたが、本当にそうだったかは、本人にしか分かりません。

その弟のやさしい母親は翌年、アルツハイマー型認知症と診断された、私のカミさんの妹なのですが、時々その息子がまだ生きていると思っているようです。
というか、亡くなっていることを時々忘れるようです。


自分の息子が先に逝くなどということは、妹にとっては、とてもつらい体験だったので、認知症になったのも、それが原因の1つかも知れないと、カミさんとも話したこともあります。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。