当時住んでいた家は、昭和31年に、親父が31歳で(私が小学校1年生時)新潟市の中心からやや遠い場所に、2Kの小さい家を建売で買ったものです。
この家は、一生懸命働いて建てた亡き親父には、失礼で申し訳ないのですが、安普請で小さな家だったので、中学校に入るころから、私のコンプレックスの原因になってきました。
経済的には、貧乏という訳ではなく、裕福でもありませんでした。
「子供3人を高校までは行かせられるが、大学には無理」というくらいの当時(昭和30年代)の平均的な家庭ですか?
しかし中学校に入った私は、性格がだんだん変わってきて、コンプレックス・劣等感の強い、引っ込み思案の性格になってきました。
学校ではみんなと一緒に付き合うのですが、家を見られる・来られるのが恥ずかしくて嫌で、誰も絶対に連れてきませんでした。
外で付き合うこともしなくなりました。
今になって思えば、自意識過剰・劣等感の塊だったと思います。
高校に入っても同じで、学校以外では誰とも殆ど付き合わなくなりました。
ただ1人、同級生のO君とは気が合い3年間付き合いがあったのですが。
このコンプレックスは誰も解らなかったと思います。
こんな性格だったのですが、引きこもりにはなりませんでした。
大学は働きながら行けるので、高校卒業したら、とにかく家を出ようとずっと思っていました。
中3の時に1部屋増築したのですが、それでも5人で暮らすのは狭いし、この家にいるのは嫌で自分が家を出ようと・・・。
新潟に居て、奨学金を受けながら、新潟大学を受けたら行けたかも知れなかったな~と思ったことがあったのですが、後の祭りで何にもならないですね(;´・ω・)
「たら」はだめです、人生の分岐点の1つでした。
今思うと当時、50年以上前の話ですが、なんでそこまで思い詰めていたのか不思議です。
正直な気持ちを綴りました。
高校3年生の時の判断が、今の自分に続いています。
高校卒業して、名古屋近郊の1部上場の会社の工場に勤めて、新潟の家に帰るのは1~2年に1回位になりました。
町名だけは残っていますが、面影はありません。
今日も読んでいただきましてありがとうございます。
つづく。