2018年5月2日水曜日

昭和30年代、子どもの頃の思い出

2日前のブログに、滋賀県のことを書いたのですが、私が育ったのは、辞職を表明した米山県知事がおられた新潟県です。
高校卒業の18歳まで新潟県で暮らしました。

小学校時代は、かなり活発な少年で、行動範囲は広かったです。
またよく近くのグラウンドで、近所の小学生と三角ベース草野球をやっていました。
グラウンドが狭かったのと、人数が多くなかったので、いつも2塁の無い(懐かしい)三角ベースでした。

サウスポーでピッチャーをやることが多く、自分で言うのも何ですが、守備もなかなかうまかったり、それなりに楽しく元気な小学生の草野球でした。(^-^;

草野球ばかりやっていて、勉強はあまりできず、成績は中の中くらいでした。(;´・ω・)

そのグラウンドの近くに、K商店と言う駄菓子屋がありました。
草野球のあと、暗くなる前によく寄りました。
10円くらいの駄菓子の買い物ですが、なぜか50銭硬貨がまだ使えたのを覚えています。

店主のおじさんが店で小さいサルを飼っていて、ニホンザルではなさそうで、おじさんに聞いたら、「このサルはカニクイザルというんだ」と教えてくれました。

若い個体 File:Macaque juvenile-Nusa Penida.jpeg出典:ウィキペディア (パブリックドメイン)

自分には珍しく、可愛いサルで、蟹(かに)は食べなかったのですが、ブドウをたくさん頬張って、頬っぺたの内側がぱんぱんになるほど膨らんでいて、眼がクリクリしていたのを思い出しました。

その店にいくと、よくそのカニクイザルと遊んでいました。
他愛のない思い出です。
カニクイザルは、現在はあまり見ないのですが、日本では特定外来生物に指定されているサルのようです。

中学校に入ると、近所の子供と全く遊ばなくなり、なぜか勉強ばかりするようになりました。
成績は急上昇したのですが、何のために勉強するのか意義が見いだせなく、且つ劣等感のかたまりのような、悩み多き中途半端な3年間でした。

この中学時代のコンプレックスと言うか、劣等感は高校卒業するまで続き、それが自分の人生を決めたような気がします。

明日につづく。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。