2018年4月19日木曜日

もし徳川についていたら?長宗我部盛親

はじめに

歴史に人あり、日本の歴史には関心がある団塊定年おじさんです。
最近歴史好きの女性が増えて、歴女などと言われていますが、差し当たり私などは歴爺ですかね?

長宗我部盛親像(蓮光寺蔵)/ウィキペディアより

四国土佐の大名であった、長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)
天正3年(1575年)~慶長10年(1615年) 享年41歳
をとりあげます。

土佐国の大名と言えば山内一豊(山内氏)が有名ですが、長宗我部盛親は、関が原の戦いで西軍につき、徳川家康に土佐国を没収・改易されています。

その後、遠江国掛川5万1千石の城主であった、山内一豊が土佐国に入るのですが、山内氏にとっては、命がけだったようです。
この話は又別の機会にでも・・・。

一般的な後世の評価はあまり高くない盛親で、短気で放漫な性格だったとする説がありますが、私は人間味があり、興味深く、何となく好感が持てる人物ではあると思っています。

大名家といえば、(鎌倉)室町時代の守護大名から、戦国大名まで、興亡を繰り返し、衰退し、お家断絶した家も数多くあります。
(衰退として、滅亡としないのは、大名家の血筋は継続している家が殆どで、その意味では、あの平家も滅亡ではないですね)

例えば、斯波 豊臣 武田 今川 柴田 明智 扇谷上杉 松永 三好 大友 尼子 宇喜多 美濃斎藤 等の大名家、そして長宗我部家

もっと思い浮かびますが、挙げていると、今日のブログが終わってしまうので(;´・ω・)

本題(ほぼ通説)


長宗我部盛親は、土佐国・22万石の大名、長宗我部氏第22代の最後の当主であったが、先見の明がなかったのか、優柔不断だったのか、関が原の戦いで西軍について、やや酷な言い方だと思いますが、戦わずして土佐まで(逃げ)帰り、敗れた後は、土佐の領地を守れず、結局長曾我部氏を滅ぼし、牢人になり、再起を期したが悲運の最期を遂げます。

先代の元親の代までに長宗我部氏は、ほぼ四国全土を制圧した後、豊臣秀吉に負けて、土佐一国の領主になったとはいえ、勇猛で知られた有力な戦国大名でありました。

でもこういう盛親のような武将も人間らしくて? 好きですが・・。

略歴

天正3年 長宗我部元親の四男として出生
天正14年 戸次川の戦いで、優秀だった兄(長男)信親逝去
天正16年 元親がかなり強引に盛親を跡継に指名、反対者あり
天正20年 朝鮮出兵に参加、
慶長4年 元親逝去で家督相続、豊臣から承認得られず? 諸説あり
慶長5年~関が原の戦いで西軍に加担、戦闘に参加せず敗退、土佐に帰る、家康に謝罪しようとするも、様々な理由で拒否され、領土没収、改易、牢人となり、伏見で蟄居、寺子屋の師匠などをする
慶長19年 伏見を脱出、大坂城入城を果たす、手勢1,000人結集主力部隊となり、大坂の陣は膠着状態で和議
慶長20年 大坂夏の陣で5,000人の兵を率い、藤堂軍と激突⇒最終的に敗退し壊滅、捕縛され伏見に護送、京都引き回し後、5月15日最期を迎える。何人かの息子も同じ運命を・・(;´Д`)

本当に波瀾万丈の生涯だったと思います。
やはり運命の分岐点がいくつかあったのですが、それが裏目裏目に出て、自分と長宗我部家、家臣団、家来の一領具足の命運を破綻の方向に導いてしまったのでしょう。

特に慶長5年の関が原の戦いのところを太字にしましたが、ここが大きな分岐点だったと思います。

徳川家康側につく状況も少なからずあり、わずかな行き違い、運命のいたずらで気が付けば?西軍側にいて、それも戦わずに敗退という、優柔不断ともいえる行動と見えます。

運命が、山内一豊と真逆の方向だったのかなと思います。

その後の長曾我部氏の家臣団も、他の国に散り不運な目に遭った人々が多かったと思います。

元々土着の一領具足層は土佐に残り、山内氏の下級武士(郷士)として、取り立てられた人も多かったのですが、上士との身分差は徹底してあったといわれています。

しかし(吉田東洋の先祖の)優秀だった重臣の吉田正義は、山内土佐藩の上士として、「ぜひとも」と迎えられたそうですが、こういう例もわりとあったようです。

山内土佐藩では、江戸時代を通して、潜在的に上・下士の間では根強い対立があったと言われています。

長宗我部氏ゆかりの子孫の多くの土佐藩郷士が、260年後に討幕の勤王派になり、徳川幕府を倒したことにより、改易させられた徳川氏に、遺恨を晴らしたかも知れないと思ったものです。

なお明治維新に貢献した、土佐藩の板垣退助は、上士でしたが、甲斐武田氏の家臣・板垣氏の流れを汲む武士です。

歴史は興味深いです。
歴史にifはないと言いますが、あえて「もし盛親が東軍についていたら、土佐国はどうなっていたんだろう?、おそらく長宗我部藩になっていただろうな?」などと考えるのが好きです。

また旅行好きの私としては、残念ながら土佐・高知県は、一度も行ったことがないので、出雲・島根県と共に、今年か来年にはぜひ行ってみたい所です。

  参考:長宗我部盛親・ウィキペディア

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2 件のコメント:

インディ七勝七敗 さんのコメント...

おはようございます。
何時も楽しく読ませていただいています。
もう10年以上前になりますが
医療技術の研修会に
確か九州南部からだったと思いますが
長宗我部姓の若い技士さんが
参加されていた事を思い出しました。
自身の姓をどの様に
思っているか聞いてみたかったですね。

KAZU さんのコメント...

インディ七勝七敗さん、コメントありがとうございます。
長曾我部氏の子孫の方は、その後全国に散らばられているようです。
関東で、私の知る範囲では、そのお名前の方はいませんでした。