2018年3月31日土曜日

横浜の思い出(2)

偶然のような状況で、横浜の神奈川大学に22歳で入学しました。
高校の同級生が、1人同じ大学に入っていて、彼は1浪してもう4年生でした。
その時自分は、4年遅れてやって来た大学生のような感じでした。

彼とは1年間くらい付き合っていたのですが、中退して芸能関係の仕事をしていましたが、その後会っていません。

大学に通っていた4年間だけ、横浜に4年間住みました。
1973年(昭和48年)から1977(昭和52年)年までですね。

学生時代は働かないとやっていけないので、日ごろは夜アルバイトをして、春・夏の休みは目いっぱいのアルバイトでした。

中華街や東横沿線の喫茶店、横浜駅の地下街の食堂のウエイター。
大手工場や町工場の自動車部品、電子機器・部品組み立て。
横浜岡田屋屋上のビアガーデンのウエイター。
引っ越屋や、競馬場警備員の日雇いアルバイト。
弁当屋で夜のアルバイトもやりました。
リクルートの「日刊アルバイトニュース」にはお世話になりました。

生活のためとはいえバイトばかりやっていて、やはり勉強は2の次のようになっていました。

学校とバイトばかりの生活は、「港ヨコハマ」のイメージの生活とは無縁でしたね。

横浜では1年間間借り生活をした後、3年間東横線の妙蓮寺駅近くのアパートに住みました。

風呂がなかったので、南こうせつの「神田川」のような生活で、妙蓮寺駅そばの銭湯に、下駄を履いて、1日置きに行きました。
帰りにいつもの店で、「生姜焼き定食」を食べたのを思い出します。

行動範囲は、東横沿線と、横浜駅、関内駅が中心でした。
今思うとちょっと残念だったかも知れません。

カミさんとは、23歳の時横浜で知り合いました。
アルバイト先の工場のお姐さんが紹介してくれました。
その方は10年後、離婚した後自分で命を絶ちました。

いろいろありましたが、カミさんとはもう45年の長い付き合いです。

卒業と同時に、東京都内に就職したので、都内に引っ越ししました。
中央線の武蔵境という駅の近くの、1DKのアパートでした。
駅前にイトーヨーカ堂がありました。(今もありますが)

多摩ニュータウンに行く前の3年間くらい住んでいましたが、今考えると、多摩より住みやすかったと思いますが、ここで家を買うのは無理だったのでしょうがないですね。

就職も、住むところも自分で決めて、リタイアして、現在横浜や都内よりはやや離れた所で、汲々自適の生活をしています。

人生50年位はあっという間でしたが、しかし50年を一口ではなかなか語れません。
中身のあるような無いような横浜の大学生活でした。

今回は横浜の4年間でした。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。