2018年3月10日土曜日

ヴィトンが似合ったかな?板垣退助

歴史の人物としては新しい時代、明治日本の軍人・政治家、土佐藩(今の高知県)出身、元勲 板垣退助(旧名 乾正形・退助)。
元勲というイメージではなく、「板垣すとも自由はせず」の自由民権運動の指導者というイメージが強いかと思います。

私の世代では、100円紙幣(1953年~1974年まで発行)でもお馴染みです?
70年代までは使っていましたね。
見たことがない方は、上の板垣退助のリンクで、下の方に出ていますよ。

板垣退助・天保8年(1837年)~大正8年(1919年)は       土佐藩上士・乾正成の嫡男として出生、幼名猪之助。
子供の頃は、腕白であったが、とても正義感の強い性格だったそうです。

土佐藩では武士の上・下士の身分制度が厳しく、ちなみに有名な坂本龍馬は、下士の中の郷士と呼ばれる身分だそうです。
郷士は土佐の山内一豊の前の領主、長曾我部氏の遺臣が多いそうです。

土佐乾家は何と?武田信玄の重臣の板垣信方の長男、板垣信憲の息子の、正信から始まります。

板垣信憲は不行跡を理由に、武田信玄から改易・追放されました。
幼少の息子の正信は浪人となり、長じて豊臣秀吉に見いだされ、山内一豊の家臣となり、その家老の山内備後守・乾和三より「乾」の姓の使用を許され、上士として乾(板垣)退助まで続きます。

後に乾退助は、土佐藩の勤王武力討幕派のリーダーとなり、戊辰戦争で土佐藩兵を率い、東山道先鋒総督府参謀として活躍します。
1968年2月、天領地の甲府掌握を目前にしたとき、岩倉具視の助言で甲斐源氏の流れをくむ板垣氏の姓に復したとされています。

甲州勝沼の戦いで、近藤勇の新選組を撃破し、武田家遺臣の多い、八王子千人同心を懐柔し、東北では仙台・二本松・会津各藩を攻略した軍功で、藩陸軍総督になる。

しかし驕ることなく、維新後すぐ、賊軍となった会津藩の名誉回復に努めるなど、公正な、正義感のある行動をとり、現在でも会津の人々から感謝されているそうです。

更に後に、元勲となり政府の重臣となったが、西郷隆盛らとともに征韓論を主張するが、岩倉具視らの穏健派によって覆され、ともに下野します。

後に自由民権運動を主導し、急進的な自由主義の自由党を結成し、その党は解散しますが、政治家として活躍することになります。
激動の時代の元勲であったが、一方、日本に自由と民主主義、政党政治の発展に力を尽くされた、正義と公正と自由な方ですね。

板垣退助は、明治維新を成し遂げ、明治時代を生きた中の最も尊敬できる政治家(の一人)ではなかろうかとと思っています。

なお、後藤象二郎と共に、立憲政治の視察のため、今から130年前の、1882~83年に渡欧していますが、その時ルイ・ヴィトンのトランクを購入したそうです。
45歳の頃ですね。
元勲にルイ・ヴィトンはお似合いだったのではないでしょうか。^_^;

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

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