2018年3月31日土曜日

3月の家計の支出を計算しました

早いもので、3月31日も過ぎようとしています。
近くの公園で、カミさんと、カミさんの妹と、3人で花見をしました。
桜も1週間位早く咲いて、あっという間ですね。

花粉と桜のシーズンが過ぎれば、もう初夏という感じで、季節感が前倒しです。


3月の支出も、あっという間に集計しました。
収入も支出も少ないので早いです。(;´・ω・)
基本的に、大まかに当月の支出が、20万円を超えるか超えないかが、最も注意をするところで、項目別支出は大雑把に捉えています。

3月分 家計 項目別支出
単位:円
住居
29,200
電気・ガス代
19,700
水道料
ネット・通信
12,200
食料品費
72,100
外食費
9,700
クルマ関係・交通費
3,100
温泉費用
6,200
パーソナルケア・衛生費
23,200
医療費
15,600
衣料品費
31,900
消耗品費
11,500
雑費・他
3,800
保険・税金
238,200

※支払い日のかかる月を支出月にしています。
クレジット引落の場合も引落しの月が支出月です。
宿泊の国内旅行・海外旅行費用は除外しています。

パーソナルケアの中に、ネット購入のドルツの電動歯ブラシ12,000円が、楽天カードで引き落とされたので、入っています。

衣料品はいつもより多いですが、イオン等のスーパーでセールをやっていたので、けっこう買いました。

食費は老人2人分としては多いかも?
あまり食べていないのに、なかなか減りません。
5万円台ならベストです。

20万円以下の支出を目指します。

朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン少し

昼 花見で、飲み物と、タコ焼き食べただけ

夜 ラーメン

栄養は偏りまくりですね(・・;)

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

横浜の思い出(2)

偶然のような状況で、横浜の某K大学に22歳で入学しました。
高校の同級生が、1人同じ大学に入っていて、彼は1浪してもう4年生でした。
その時自分は、4年遅れてやって来た大学生のような感じでした。

彼とは1年間くらい付き合っていたのですが、中退して芸能関係の仕事をしていましたが、その後会っていません。

大学に通っていた4年間だけ、横浜に4年間住みました。
1973年(昭和48年)から1977(昭和52年)年までですね。

学生時代は働かないとやっていけないので、日ごろは夜アルバイトをして、春・夏の休みは目いっぱいのアルバイトでした。

中華街や東横沿線の喫茶店、横浜駅の地下街の食堂のウエイター。
大手工場や町工場の自動車部品、電子機器・部品組み立て。
横浜岡田屋屋上のビアガーデンのウエイター。
引っ越屋や、競馬場警備員の日雇いアルバイト。
弁当屋で夜のアルバイトもやりました。
リクルートの「日刊アルバイトニュース」にはお世話になりました。

生活のためとはいえバイトばかりやっていて、やはり勉強は2の次のようになっていました。

学校とバイトばかりの生活は、「港ヨコハマ」のイメージの生活とは無縁でしたね。

横浜では1年間間借り生活をした後、3年間東横線の妙蓮寺駅近くのアパートに住みました。

風呂がなかったので、南こうせつの「神田川」のような生活で、妙蓮寺駅そばの銭湯に、下駄を履いて、1日置きに行きました。
帰りにいつもの店で、「生姜焼き定食」を食べたのを思い出します。

行動範囲は、東横沿線と、横浜駅、関内駅が中心でした。
今思うとちょっと残念だったかも知れません。

カミさんとは、23歳の時横浜で知り合いました。
アルバイト先の工場のお姐さんが紹介してくれました。
その方は10年後、離婚した後自分で命を絶ちました。

いろいろありましたが、カミさんとはもう45年の長い付き合いです。

卒業と同時に、東京都内に就職したので、都内に引っ越ししました。
中央線の武蔵境という駅の近くの、1DKのアパートでした。
駅前にイトーヨーカ堂がありました。(今もありますが)

多摩ニュータウンに行く前の3年間くらい住んでいましたが、今考えると、多摩より住みやすかったと思いますが、ここで家を買うのは無理だったのでしょうがないですね。

就職も、住むところも自分で決めて、リタイアして、現在横浜や都内よりはやや離れた所で、汲々自適の生活をしています。

人生50年位はあっという間でしたが、しかし50年を一口ではなかなか語れません。
中身のあるような無いような横浜の大学生活でした。

今回は横浜の4年間でした。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月29日木曜日

Hondaの営業マンが感じが良い件

半年ぶりにHondaのディーラーに行きました。

2015年の9月に買った、Hondaのクルマ(NーWGN)の、2年半目の半年点検でした。
定期点検パックに入っていて、冬用タイヤを無料で夏用に履き替えをしてくれるので、うれしいです。(^-^;

ついこの前買ったばかりの新車だと思っていたら、あと半年で3年、車検も近くなってきました。
改めていうまでもなく、月日の経つのは早いもので。

今回ワイパー、エアコンフィルターなどの取り換えを勧められましたが、今回はパスして、9月の車検でバッテリーも含めて、全部交換しようと思います。

そうすると、軽自動車とはいえ、車検費用・合計12~3万円はかかるかも知れません。
便利なクルマですが、ほぼ買い物に使うだけとしては、確かに「金食い虫」というのは、本当ですね(゚Д゚;)

定年リタイア前は平気でクルマを2台持っていたのですが、無職になると、これでも負担感が大きいですね。

このディーラーの、担当してくれている、営業のくんのことを、昨年スタッドレスタイヤに交換した時に書いたことがあります。
もう冬支度してきました ⇐

相変わらず、感じはなかなか良い青年で、「おかげさまで今年入社3年目で、目標をクリアできました」などと言うので、よく頑張っているねと微笑ましくなるものです。
25歳か26歳くらいだからね。


今のクルマを買った時、カミさんがHondaの日産のノートの新車1年目に乗って、Hondaディーラーに行き、「Hondaのクルマを見たいのだけど、見せてくれますか?」と言ったら、そこにいた30代くらいの営業マンが、入社半年のくんに応対するように振って、彼と話をしたのが始まりでした。

もし何年か先、次にクルマを買うとしたら、軽ではなくやはりコンパクトカーくらいがいいかな、などと思ったとき、Honda以外でもデミオ、MINI,スイフト、ヴィッツ、などが頭に浮かびます。

そういうお客が、Hondaのフィットより、他社のクルマの方が良くて、買いたいかな?と思った場合でも、お付き合いの中で、さりげなく「やっぱりHonda車を買おうかな」、と思わせる魅力のある営業マンになるかも思います。

私も、あと残り少ないと思われるクルマ人生なのですが、次のクルマを買うまで、HondaのディーラーとIくんに今の軽の面倒を見てもらいつつ、でもクルマは営業マンの魅力よりクルマの魅力の方が勝るかな?などと思っている今日この頃です。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月28日水曜日

横浜の思い出(1)

この当時の話は、リアルに現在周りにいる人はカミさん以外誰も知りません。
新潟にいる妹は少し知っているかと思いますが。
このブログを読んでいただいている、あなたにはお話しますね。^_^;

今日は横浜に行くまでの、簡単ないきさつです。

新潟の高校卒業後、名古屋近郊の1部上場の工場で4年間働きました。
高校3年時、鉄工所の職人だった父親に、大学の負担をしてもらうのは、無理だと考えて、進学を諦めて就職しました。

ただ後日進学働きながら、お金を貯めて学校に行こうとは、何となく思っていました。

工場の4年間で、大学4年分の授業料は貯めて、あとはアルバイトしながら大学に行けば何とかなるだろうと思っていました。
大学に行くことだけを考えていて、何をやりたいかは全く考えていませんでした。
やや甘かったですが、高度成長はまだ続いていたので・・・。(-_-;)

その工場を8月に辞めた後、5か月くらい、東京でアルバイトしながら受験勉強しました。
昭和47年、23歳になっていました。

月曜日から金曜日まで、朝8時から5時まで仕事をして、帰って午後7時位から午前2時~3時まで、集中的に独学で受験勉強をしました。
64㎏の体重が58㎏まで落ちました。

参考書は書店で求めました。
理系は能力的に無理なので、文系3科目(英語、国語、日本史)。
1発で受からないといけないので、模擬テストを受け、偏差値を調べ、自分のレベルを調べました。
翌昭和48年、当時の授業料のできるだけ安い大学をいくつも受験しました。
受験料もばかになりませんでした。(・。・;

合格したぢ額がありその中でどこに行くか、ちょっと迷いましたが、「東京を離れて横浜の大学もいいな」、「K大学はその中で、最も授業料が安いな」というわけで、K大学に決めました。

23歳の私は横浜市の、六角橋の大学近くの間借りを、学生課に紹介してもらい、昭和の48年3月から52年まで4年間、横浜市に住んでいて、学生時代を過ごしました。

他の大学に行ってたら、人生は変わっていたかもしれません。
分岐点でした。
第一カミさんとは出会っていなかったですね。
今それを言ってもしょうがないですけどね。(;´・ω・)💦

以前にも書きましたが、K大学は昭和48年当時もまだ、学生運動が治まらず、ざわついていて、静かに勉強できる環境がやや整っていなかったように思います。
まあ、環境が整っていても勉強はしなかったかもしれませんでしたが。

入学式は中止、休講が多く、試験も中止が多くレポートが試験替わり、というような環境でした。

横浜に引っ越した3月、鼻がむずむずし、くしゃみ・鼻詰まりになり、耳鼻科に行ったら
「もしかしたら最近言われてきた花粉症というアレルギー症状かも知れないですね」
と言われました。
46年前の春3月で、花粉症とは43年の付き合いになります。(・。・;

私の人生の判断はかなりいいかげんでしたが、何とかなるものですね。

続きます。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月27日火曜日

パソコンが壊れたけど直さない件

先日のブログで またパソコンが壊れそう(゚Д゚;) という記事を書きました。

私の富士通の小型のノートパソコンは4年前の夏に、○○○電機の店舗で5年保証で12万円ほどで購入したもので、まだ4年弱の使用です。

「ヒンジ」の部分が壊れて、店舗に修理依頼に出していたのですが、今日そこの修理センターから電話がきました。

電話の内容は要するに、「ヒンジ部分と、液晶画面を含む上蓋の破損で、交換の修理は、無料保証で、修理代に税別68,000円かかりますが、見積書をお送りいたしましょうか?」・・・

私「5年保証で、ヒンジの修理ができなければ、保証料に商品代金の5%を支払っているのに、意味がないね😒」・・・

とは一応言ったのですが、薄々、ヒンジ関係の修理は有償になるのではないかと思っていた上、修理の窓口の女性にごねたとしても、面倒くさくてしょうがないので、
「見積もりはいらない。修理はしなくてもいいから、返却するようにして」と返答。

4年弱の使用で壊れるのは、ちょっと早すぎると思うし、すぐに買い替えるのは癪に障るので、しばらく蓋をあけたまま使うことにします。
4年弱使ったW8.1バージョンのノートパソコンに、税別6萬8千円也の修理代は「勘弁してよ」と言うことですね。

パソコンや電気製品、クルマでも当たり外れがあり、このパソコンは、ややはずれだったでしょうか?

よく徘徊しているブログで、”2年半しか使っていない、エプソンプリンターの廃インキ吸収体がいっぱいになって、交換のため13,000円かかり、この交換はメーカーでしかできないが・・・。”
というような記事がありました。

私のプリンターも、その方のプリンターに近い型式なので、読んで参考にさせてもらったのですが、プリンターの10倍くらいの値段のパソコンは、当たり外れがあるとしても、せめて5年くらいはもってもらいたいな~、と言うのが私・団塊定年おじさんの本音です。

それと、電機販売店での、メーカー保証1年+4年延長=5年は、「つかえないな~」というのが個人の感想です。
パソコン購入代金12万円の5%=6,000円は、捨てたようなもので、次からはこの保証延長はやらないようにしよう。

先ほどの修理代税別68,000円出せば、今どきの通販だったら結構いいノートパソコンが買えると思いますね?
しばらく壊れかけたパソコンを使いながら考えようと思っています。

また、とりあえず次からはこの、○○○電機ではもう買わない。
電気製品は当たり外れも覚悟して買う。
電気店保障+4年などは、つけないようにする。
ノートパソコンの小型(13.3型)は買わず、15.6型を買う。

と思ったのが今日の教訓です。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

森友問題、長引くと・・・

1)近畿財務局の森友学園への国有地売却のいきさつ

2)首相夫人が、国有地売却に関与があったかなかったか

3)財務省の決済文書書き替え問題

1)と2)は昨年初めから1年以上も国会でやっている問題。
3)は今年になって、朝日新聞が報じたことから問題化された、と認識しています。

森友問題で、初めに挙げた3点は間接的につながっているとしても、2)に関しては直接的には別の問題ではなかろうかとおもっています。

森友学園の元理事長のK氏は、教育者・学校経営者・やり手の実業家の面を持った人だと思います。

やり手ですから、事業拡大のためには「はったり」の1つもかますでしょうし、あらゆる人脈も駆使しますね?

首相夫人にとっては、K氏は多くの陳情者の1人だったかもしれません。
しかしやり手の実業家としてのK氏は、なんらかの接点を見つけて、首相夫人を大きすぎる人脈の1人(1つ)として、利用(活用)しようとしたのかもしれません。

「総理・首相を応援する」教育者としてのK氏は、首相夫人に学校行事に来賓としての出席を、再三にわたって依頼をしたのでしょう。

最初は、双方はいい関係だったと思います。
この点、首相夫人に何の落ち度も、問題もないですね?

小学校を開設しようとして、用地を探していたK氏はいい国有地を見つけて、国の出先機関である、近畿財務局と価格条件などを交渉しますが、ここに人脈?の名前をちらちら出します。

これに忖度したかどうかは、首相夫人の全くあずかり知らないことだと思います。
怪しげなやり手の実業家に、周りが振り回された感がします。

この忖度に対して、首相夫人・更には、首相に対しても罪をなすりつけ、貶めようとする、立憲民主党などの野党と、一部新聞などのマスコミには、どう考えても納得がいかない。

間違った証言をすれば、偽証罪に問われるというような、人権侵害の恐れのある証人喚問に出ろというようなことは、犯罪人のような扱いで、それこそ間違っているとしか思えない。

一応社会的に認められている一部マスコミや、一部国会議員が、間違ったことを100回言えば、その間違ったことを信じる人も出てきます。
それが現在の森友問題が長引いている状況のように思います。
もう団塊おじさんの常識の範囲を超えています。

この問題を延々とやっている野党の国会議員諸氏は、他にやるべき内政、外交上の問題を
考えずに、内閣・政権を倒せばいいのだと、倒閣運動に走っているとしか思えないのが残念です。

「米欧が、ロシアの外交官を一斉追放へ」などというニュースが流れています。
こういう方にも少しは目をむけてね。国会議員様。

ただ私が思うことが、もしか・・しなくても、少数派になってしまったかもしれません。
それもまた残念です (-_-;)


朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン少し

昼 ハンバーグのランチ¥880
  (イオンモールのフードコートで)

夜 イオンの30%引きのお弁当、味噌汁


今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月25日日曜日

1日2食の人は、食後に3回おくすりを飲めないな

どうもこんばんは、花粉症の者です。

東日本のスギ花粉のピークは、まだまだ続いているようで、抗ヒスタミン剤を飲まないと花粉症の症状が緩和されません。
今年は去年より多くて、長引きそうな予感がします。

抗アレルギー剤を飲んでいても、夜寝ている間に鼻が詰まり気味で、口呼吸をしているようで、黴菌が入り、咽喉(のど)が炎症を起こして痛くなってしまいました。
花粉症のに加えて、のどの方も飲んで、難儀な今日この頃です。

1日2食の日が多いのですが、のどの炎症の抗菌剤は、「食後に、1日3回飲め」という指示があるので、朝と昼は少ない量でも食べるようにして、おくすりに合わせる生活です。

1日2食、特に「朝ごはんを抜くのは、体に良くない。痩せるかと思って食事を抜くと、逆に肝臓に脂肪が溜まりやすい体質になる」などと驚かせるような内容のことをテレビの医学バラエティーで言っていました。

確かにその理由は分かるような気がしますが・・・。
60歳を過ぎて、1日2食にしてもなかなか体重が落ちなく、健康診断でも肝脂肪があると言われているので、そうかな~と納得しています。

しかし朝も含めて1日3回食べてカロリーを摂りすぎれば、それでも肝臓に脂肪は溜まり、太りやすくなるような気もします。

結局どちらにしても良くないようなので、自分としては毎日の食事のカロリーの量を減らし、1日2食の日を週2回くらいにするかな?と思っています。

あれこれ考えて、いろいろ試してみても、結局自分の体の健康管理は自己責任ですね。


朝 珈琲、牛乳、ジュース、バナナ、パン少し

昼 手製きつねわかめうどん、

夜 筍などの煮物、ご飯、野菜サラダ
 


今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月24日土曜日

中世の九州を駆けた名将、菊池武光

今日の投稿のタイトルは、ちょっとオーバーかもしれませんが、個人の感想です
鎌倉・室町時代の歴史にあまり関心のない方も、スルーしないでぜひ読んでね^_^;

肥後(現在の熊本県)菊池氏第15代当主 菊池武光。(⇐ウイキペディア)
元応元年(1319年)?~文中2年(1373年)享年53歳?または52歳

本朝智仁英勇鑑・菊池武光(月岡芳年作)
出典:Wikipedia パブリックドメイン


九州の武将では、戦国時代の島津義久、大友宗麟、竜造寺隆信らが有名ですが、それより200年も前に、私が九州史上最強と思う菊池武光という武将がいました。

この菊池武光という武将を知ったのは、北方謙三の「武門の王」という小説でした。
北方謙三の、室町時代初めの、南北朝を舞台にした初めての歴史小説で、1989年の作品です。

読んだのは、平成に入ったころで、もう30年近く経ちますね。
この小説は、いまだに印象が強いのですが、(先日ブログに書いた)大塔宮 護良親王 の弟の征西将軍宮 懐良親王 がもう1人の主役になっているのも大きいとおもいます。

菊池武光の、或いは菊池氏の私のイメージとしては、つぎのようです。

とにかく強い武将・一族であったが安易な戦いはしなかった。

下剋上・裏切りで勢力を広げた武将ではなく、正攻法を駆使し、潔ぎよい。

一族が一致結束をして時代に立ち向かい、同族どうしで戦わなかった。

南北朝時代に、懐良親王との利害思いが一致し、時代を躍動的に駆け抜けた。

反骨精神旺盛であり、且つ懐良親王に対する忠誠心は高かった。

のちの戦国時代をはじめとして、鎌倉時代以降、大名家では家督を巡って等の、一族間の争い・粛清はつきものでしたが、菊池氏の菊池武光の時代にはそれがなく、イメージは良いと言ってもいいです。

室町時代初期、南北朝の時代に、後醍醐天皇(南朝)の皇子、征西大将軍の懐良親王を九州隈部山城で迎えた菊池武光。
この時から九州の南朝勢力として、快進撃を続けます。

九州の北朝勢力を一掃し、一応九州を制圧した後、元々南朝に服していて反旗を翻した小弐氏・大友氏と総力を挙げて戦った有名な「筑後川の戦い」(1359年)でも勝利します。

これは菊池軍4万、小弐軍6万計10万が戦い、双方で5千の将兵が命を落とした、九州一の激戦でした。
日本史上でも、3大合戦の1つとされているそうです。

しかしこの戦いで勝利はしたが、損害も大きかったのです。
菊池武光と懐良親王は翌々年、再起した少弐・斯波勢を破り、再度九州を制圧し、ついに東上を決意。

その頃都では2代将軍義詮が没し、義満が後を継いでいます。
武光らは、これを機に1368年東征の7万騎の軍を挙げて、長門・周防へ進軍を開始した。
いや~かっこいいですね?
しかしここまででした。

瀬戸内海を完全に掌握していなかった東征軍は、北朝方の大内氏の抵抗で敗北を喫した。
この後大宰府の征西府は固めていたが、徐々に勢力を弱め、北朝方の今川了俊が新九州探題として派遣された。

武光らはこれと対峙するが、とうとう大宰府は包囲され、征西府は崩壊し、筑後高良山に逃れた。
11年間、征西府で九州の派遣を握った懐良親王と菊池武光でした。

翌年高良山の攻防戦の中で、菊池武光は53年または52年の生涯を終えた。
わずか50数年の波乱万丈の人生で、歴史に残ることを成したと思います。

なお懐良親王は、その10年後の永徳3年(1383年)に、隠居していた筑後矢部というところで、病気で薨去されたと伝えられています。

武光が亡くなった後、菊池氏は衰退しましたが、明治35年その子孫は男爵位を与えられたそうです。

ちなみに、西郷隆盛の先祖は菊池氏の家臣で、江戸時代元禄年間に島津氏の家臣になったそうで、西郷隆盛も、安政5年12月奄美大島に潜居させられた際、「菊池源吾」という変名を使っています。
これは、「わが源は菊池也り」という気持ちで名付けたといわれています。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

証人喚問について思ったこと

個人的な意見で、「素人が何言ってんだか」と思われることもあると思いますが、あしからず。(・。・;

さて「証人喚問」を辞典で調べて、引用しますと、
議案審査や調査に当たり議会の委員会などが議員の国政調査権に基づき、事実発見のために当事者や関係者などに出頭を求め行う喚問
とあります。                
( ブリタニカ国際大百科事典より)

この証人喚問は出頭が強制され、宣誓も行わなくてはならず、証言拒否もできず、証言が嘘だったりした場合は、結構重い刑事罰の対象になります。

また最近の例でもわかるように、証人喚問の証人はテレビで全国ネットで放送され、プライバシーも人権もかなり制限されるし、無視されるといってもいいかもしれません。
刑事裁判の被告より厳しいかもしれません。

この感想ですが、過去の証人喚問で、「人民裁判」や「魔女裁判」のように思えるシーンがいくつも思い起こされます。

証人が何を発言しても、批判の対象になり、バッシングされ、社会的生命どころか、実際の命さえも失いかねない状況に追い込まれかねません。
昔にはそのようなあったという記事があります。
なので、特に民間人の証人喚問は、よほど慎重に考えなければならないはずです。

最近の森友学園問題で、よく「人権」を言われる、立憲民主党や共産党などの議員の方々が、特に総理夫人を証人喚問に呼ぼうとしている姿には、「なんだかな~」と思います。

私はとうてい総理夫人が、森友学園の国有地払下げに関係しているとは思えず、証拠もないのですが、「関係しているかどうか怪しいので、国会で喚問する」というのはどうも野党の横ぼうのように感じます。

安倍内閣を倒したいための手段の証人喚問に見えてしまいます。
何か近くの国で、前・元大統領が次々逮捕されていますが、そんなことと今回の証人喚問問題は、私の中で連想されてしまいます。

米朝の衝突懸念はちょっと先送りになっていますが、米中貿易摩擦、世界の株安懸念、など日本の政治経済に影響を与えかねない問題もあります。

国会議員の先生の皆様も、森友問題だけでなく、もっと大きな問題が国内外に山積していますので、こちらにも目を向けていただきたいものだと思っています。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月22日木曜日

ブログの訪問者数が増えたかなーという件

PVはページビューの略称で、ブログやサイトにアクセスされたページの総数です。
同じ人が何ページもアクセスすることもあり、正確ではないですが、どのくらい読まれているかの目安にはなりますね。

このブログの、右サイドの下にPVカウンターがありますが、今日で1つの大台を超えました。
「それが何か?」と言われそうですが、素人のマイナーなブログでは、なかなかうれしいことです。

PVの10分の一の人数としても、今までに延べ1万人くらいの方がアクセス(訪問)していただいているのかな? と思っています。
ありがたいことで、感謝。

このブログは、一昨年の6月に書き始めて、2年近く経ちました。
最初の半年くらいは、1日のPVが一桁の日が多かったのですが、日本ブログ村とブログのランキングに参加してから少しづつアクセスが増え、自然にヤフーやグーグルで検索してアクセスする方も出てきました。

しかし2年弱で自分なりには多くの人に訪問していただいたと思うのですが、アマチュア? としてもまだまだのレベルだと思います。
1か月で10万PV、30万PVと読まれているブログもたくさんあり、それらと比べたら・・・(-_-;)

このPVは、特別のことをしなくても、ブログを続けていくうちに、ある程度は自然に?増えていくようです。
たくさんの方に読んでもらうために、まだまだブログを書き続けようと思います。

ここまで続けてきて、読んでもらうとしても、内容がつまらないと、だんだん飽きられてしまうと思うので、中身の濃い、新しい話題のためにセンスを磨かなくっちゃ。
勉強もしなくっちゃね?^_^;

私もいろんな方のブログを徘徊しているのですが、役に立つ情報や考えを載せているブログもありますが、何気ないブログでも、なんとなく波長が合うというか、行間の醸し出す雰囲気がいいなと思うブログがあります。

そのようなブログを自分も書けたらいいかなと思いつつ、パソコンの前に座っている今日この頃です。

朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン少し

昼 豚汁の残り、餅1個

夜 豚もつ煮込み、ざるそば (日帰り温泉の食堂で)

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月21日水曜日

お彼岸の中日は雪模様

お彼岸・春分の日、3月21日のかなりの雪は、関東などでは、大変珍しい。

テレビのニュースでは、八王子や箱根の雪模様を報道しています。

私の地域でも朝から雪が、ちらちら⇨しんしん⇨またちらちら⇨みぞれ という感じでした。

ただ、積もることはありませんでした。
クルマのタイヤはまだスタッドレスのままですが、外へは1歩も出ませんでした。
1回エントランスの郵便受けを確認に行っただけ。

旅行会社の海外旅行のパンフレットが1通入っていました。
パンフレットを見ると、海外旅行に行きたくなります。

3月に入って20度以上の気温があって、桜のつぼみも膨らみ開花が始まっていたのですが、今日は2~5度くらいのようで、つぼみも縮み上がりました。

「寒さ暑さも彼岸まで」といいます。
寒さも今日がピークで、明日からは本格的な春の気候になるでしょう。

3月が終わると、あっという間にゴールデンウイーク。
それが過ぎれば、あっという間に梅雨で、1年の半分が過ぎます。

毎年早い早いと言っているのですが、夏が来れば、私も69歳(-_-;)
つまり数え70歳の古稀ですね。
今まで漠然と満70歳が古稀だと思っていたのですが・・・(・。・;
「思えば遠くへ来たもんだ」 by武田鉄也

雪で家にいてパソコンの前でいろんなことを考えます。


朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン少し

昼 豚汁

夜 焼き肉、残った豚汁、ご飯

(豚汁がまだ残っているので、明日も豚汁です)


今日も読んでいただきましてありがとうございます。
中身の薄いブログの内容で反省!

2018年3月20日火曜日

そ、それは、いくらなんでも!

森友学園、国有地売却問題の、参院予算委員会での財務省官僚の答弁のフレーズです。

財務省の公文書書き替えをめぐって、和田正宗議員が、大田理財局長の答弁に対して、「太田局長は民主党政権時代に野田首相の秘書官を務めていたので、安倍政権をつぶそうとして変な答弁をしているのではないか?」と質問をしました。

それに対して太田氏の答弁の要約、「公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事で、それを言われるといくらなんでも、いくらなんでも(あんまりです)。」
( )内は私のつけ足しです。

太田さんとしても、国会質問・答弁の場で、それを言われるとは、顔面蒼白、泣きたくなったでしょうか?

和田正宗議員は、NHK出身で、参院自民党でも保守派として、ネット界隈でも知られている議員で、私も注目している人で、好きなキャラクターの議員の1人なのです。

が、しかしこの質問の発言は、反論がしにくい気の小さい(ように見える?)高級官僚に対して、いささか気の毒な内容だったのかなと思います。
素人が聞いていても、ほんとかな?と思う質問だったようですね~?

どんな立場の人にも矜持があり、これを傷つけかねない言葉は、聞いていた私もちょっときつい質問だったなあ~と思いました。
でも和田議員の質問が、本当は的を得たものだったとしたら、理財局長の答弁は、痛いところをつかれて、たじたじとなったようにも見えて、どうなんでしょうか。

この和田議員の質問に対しては、ネットや、評論でも批判的な意見も見受けられます。

ワイドショーでも取り上げられたのを見ましたが、フジテレビの昼の番組のバイ○○○などでは、メインキャスターのS氏が、和田議員のことを何も知らないのに、「こいつ何言ってんの?」などとこいつ呼ばわりで、正当な批判ではなく、必要以上に貶める発言がありました。

「自民党だから駄目だ」とひとくくりにしたみたいに、私には聞こえました。

これはこれでかなり酷くて、このSというMCはいつもこんな感じで、どうかな?と思いますね。
放送法を持ち出すまでもなく、放送局の中立性にもかかわってきますね。

こちらのMCの発言の方を、「それは、いくらなんでも!」と突っ込みたくなりました。

難しいことかもしれないのですが国会議員の方々も、これを批判する方も、相手に対してのリスペクトや、思いやりの気持ちもちょっと表した方が、見ている側としても気持ちがいいかもと思ったものです。


朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン少し

昼 きつね+わかめうどん

夜 豚汁、おしたし他、ご飯

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

またか?相撲部屋・相撲協会

昨年は秋から、不祥事が立て続けに起こっていて、世間を騒がせていた相撲協会ですが、春場所の最中に「またか?」という、一件が起きた件です。

貴乃花部屋の十両の貴公俊が、支度部屋で付け人に手を出し、被害者の付け人の力士は顔がひどいことになって、一般の相撲ファンではない私なども「ああ~やっちゃった」「どうなってんのかな?」と唖然とするしかないニュースです。

実力行使のいきさつは、報道されている限りでは、貴公俊が付け人の呼び出すのが遅れたせいで、自分が本番の取り組みに負けたと思い、なぐったということです。
他の部屋でもあるのだと思うが、貴乃花部屋は注目されていて、目立ちますね。

どんな理由があっても、この力は立場の強いもの、力の強いものが、弱いものに対するいじめ・パワハラは許せないことであり、他でも問題になっちます。

下の絵のような弱い者いじめと同じで、赤の他人の私でも気分が悪い。


高ノ岩が日馬富士から受けた事件の、再発防止等の決着がまだついていない時点でのこの件で、貴乃花と相撲協会幹部の確執がどうなるのかの興味より、危機感の全く感じられない相撲協会も貴乃花部屋も含めた相撲部屋というのはもうだめなんじゃない?と思いますね。

貴乃花部屋でこんながあると、いままでうわさのあった、貴乃花部屋での過去の事も、週刊誌などで出てきて、まさに今流行のブーメランが自分に戻ってきて、貴乃花の「正義」がどこかに行ってしまった感があって残念。

スポーツ庁がいくら指導したり、再発防止に取り組めといっても、効き目がないようで、こうなると公益財団法人を返上して、自分たちの好きなような相撲協会で運営したらいいのに? と思います。

好きなようにと言っても、八○○はかんべんしてもらいたいですけどね。

貴公俊はついこの前、初場所で十両に上がった時、親方と一緒に会見し、その初々しい丸顔が爽やかだった感がありましたが、二十歳そこそこで、関取になって勘違いしてしまったのかな?

日馬富士の例から行くと、力を行使した貴公俊は引退、親方は業務停止・降格処分ということかな?
引退でなくても、今場所休場で幕下陥落は必至で、また付き人をやって反省しながら、がんばるしかないでしょう。

相撲協会の仕組みが変わらなくてはだめだ、という声がまた出てきています。

朝   珈琲、牛乳、ジュース、パン少々

昼   不食

おやつ やきもち1つ、お茶

夜   肉野菜炒め、蕗(ふき)佃煮、味噌 
    汁、ご飯
     
今日も読んでいただきましてありがとうございます。 

2018年3月19日月曜日

今日の出来事と思ったこと

気は若いつもりですが、年が重なっていくと、体は相応に老化していくのを実感します。
私の場合、それほどひどくない症状を含めて、かなりのパーツがよくないです。

思いつくところを挙げますと、

体質 アレルギー体質。皮膚に湿疹・蕁麻疹できやすい。

頭  物忘れが増えてきた。人(芸能人など)の名前が思いだせない。

  白内障発症、まだひどくなっていない。花粉症も

  聞こえが悪くなるつつある。メニエール症もあり、完全には治っていない。

  軽い慢性副鼻腔炎、 花粉症は毎年発症。

  年とともに歯周病。歯の磨きすぎもありエナメル質が減っている。

血圧 だんだん高くなってきた。 上は時々150以上ある

肝臓 γーGTPは常に高め。 

腰痛 数年前に1度やって、再発も危惧している。

じ  手術をしてよくなったが、再発の気配もないとは言えない。

足  むくみがあり2年位前大学病院で治療、原因不明。 水虫も時々出る。

こうして並べてみると、たくさんありすぎてやや笑ってしまったのですが😅
まだ深刻な病気ともいえない体ですが、病気とはつかず離れず付き合っていくしかないですね。
シニア系のブログで、もっと重い病気で、闘病中の方も多くおられますが、大変なことだとお察しします。
太字で書いた部位は、現在クリニックに通っています。

というところですが、1昨日歯科医に行ってきました。
半年に1回くらいのペースで行っていますが、歯周病の点検と、歯石取りです。
この歯科医は、定年で辞めた会社の近くにあり、もう26年のお付き合いです。
私より少し若いくらいですが、26年は長いですね。
まあ信頼のおける歯科医です。

話は変わって、
いつものブログを書いているパソコンの「ヒンジ」が壊れたので、どうなるかわからないですが、とりあえず今日「○○○電機」に修理依頼に出してきました。
10日くらいは戻ってきません。

今打っているパソコンは、富士通のW7で5年くらい前に買ったものですが、しばらく使っていないので、やや打ちにくいです。

修理が保証の対象外などと言われたら、一応は文句を言ってみますが、あっさり新しいのを買うかもしれません。
その時は、私としてはネットの通販で買うか、大手量販店の店舗で買うか、考えのしどころでありますね。

○○○電機に行った後は、いつものイ○ーヨー○ドーでお買い物。
この後日帰り温泉に行く予定でしたが、買い物が長引き、時間も遅くなり、買ったものも多く、行くのはやめて帰宅。


朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン少々

昼 自家製ラーメン

夜 チーズ他、カレイ煮つけ、ご飯、


今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月17日土曜日

またパソコンが壊れそう(゚Д゚;)

「壊れそう」というより壊れているのかも?

私がブログを「書く」のに使っているパソコンは、富士通LIFEBOOK UH55M(OSはW8.1)という小型のノートパソコンです。
定年になった2014年の夏に、前から使っていた「VISTA」を買い替えたもので、4年弱の使用です。

パソコンを開け閉めする左側の「ヒンジ」が数日前から動かすと「バキバキ」といやな音がする状態です。
無理をすると、液晶パネルが剥がれそうになります。
普通に使っていたのですが、寿命にしてはやや早く微妙な年数で。(;´・ω・)

ヒンジの中には配線が通っていて、液晶パネルとも隣り合わせで、ただの蝶つがいではなく、大事な部分です。
いろいろいじっていると、だんだん壊れていくような気がします。

メーカーに電話して、いろいろ相談にのってもらったのですが、結果、販売店さん経由で修理に出してもらった方が良いとの返答。

○○○電機で買った時に、1年保証に4年プラスを付けたので、保証の範囲で無料修理が可能か問い合わせたら、取り合えず持ってきて下さいとのことで、行ってみようかと思いますが・・・。

液晶パネルも取り換えることになると、(無料修理の上限の)買った値段の約12万円より高くなるかも知れないし、後1~2年開いたままで使えるし~と思って、どうも気が進まない。

修理に出すと、7~10日位預かるとのことで、使えないとブログが書けないし、第一パソコンを他人に預けるのには抵抗があるし。(;´・ω・)

W8.1 の延長サポートは、まだ先まであるので、このパソコンをもう少し使ってから、W10のパソコンを買おうかな? と思っていたのですが、こういう故障は難儀なことですね。(゚Д゚;)

ま~ぐだぐだ書いていてもしょうがないので、今日はこの辺で。


今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月16日金曜日

50歳の頃の私くんへのアドバイス

孔子論語に、「三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩をこえず。」とあります。

凡人には、その年齢になったらそうありたいと思うものの、なかなかそうはいかないものです。
私の50歳は、惑ってばかりいたので、論語の40歳より未熟だったようです。

また織田信長は、「人間五十年」と敦盛を舞い、49歳で命を落としました。
平均寿命が男で50歳を超えたのが、戦後の1947年のことです。

そういうことを考えなくても、一応50歳というのは1つの区切りだと思います。

私の50歳は、すでに18年前に通過してしまいましたが、
その頃の私は、まだまだ人生を甘く思っていた未熟者のようでした。
住宅ローンを減らしてはいましたが、実は貯金も殆どありませんでした。

リアリストのわたしが、できるものなら50歳当時のわたしに、お金のことをアドバイスしたいと思うことがあります。
クリアしていたことも、駄目だったこともあります。

笑わずに聞いてくださいね。

1)60歳までには住宅ローンを返済すること。
  これを返済したら、今後一切ローンは借りないこと。
2)65歳まで毎月5万円、ボーナスは半分以上貯金すること。
  結果1年で100万円、15年で1,500万円は貯金できる(・・;)
3)経済に関するスキルがないのだから、投資で儲けようと思うな。
4)65歳までは働いて、厚生年金を掛け続けること。
5)クルマは走ればいいので、頻繁に買い替えないこと。
6)無駄遣いしないで、趣味は読書と旅行くらいにしておけ(;´・ω・)
7)クレジットカードは使っても、1回払いにすること。

こんなところをアドバイスしたいですね。

現在、中小企業で働いていて、給料も高くなく、将来年金も退職金もあまりあてにできないなあ~と思いながら、何となく不安感があって、先が見えつつある、ミドルシニア又はシニア予備軍?の、50歳前後の方々の参考になれば嬉しいです。(;^ω^)


朝 珈琲、牛乳、トマトジュース、パン少し

昼 午後歯科医に行くので不食

夜 おにぎり1つ、
  鰈とシシャモの唐揚げ、スープ

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月15日木曜日

カミさんの関節リウマチの診察に行った

関節リウマチは、原因がまだはっきりしていないと言われていますが、「自己免疫疾患」と呼ばれて、その体質を持った人が何らかの原因で発症するということです。

その病気の名前はよく聞くのですが、実はよく解らないということですね。
症状は手足の関節が腫れたり痛んだりします。
また熱っぽいとかだるい症状もあります。
悪化すると骨や関節が壊れて動かなくなり、歩けなくなったり、最悪寝たきりになってしまうこともあります。
治療しないと、とても怖い病気です。

以下、私のカミさんの話です。

カミさんは、25年位前に整形外科で関節リウマチと診断されて、治療を始め、その後現在の内科・リウマチ科に行き出して10年以上になります。

それより10年以上前から症状が出ていて、病院に行ったりしていたのですが、その時は病院では病名が特定できなかったそうです。
それで、かれこれ35年以上病気と付き合っていることになります

ということで、今日はカミさんの運転手で、リウマチ科のクリニックに行ってきました。
だいたい5週間か6週間に1回くらい、同じ曜日の通院になっています。

以前症状が悪かったこともあったのですが、現在は抗リウマチ剤を飲んでいるおかげで、痛みや腫れなどの症状は殆ど出ていません。
その他に骨粗しょう症のおくすりも飲んでいます。

ただそれを止めると、症状が悪化するかもしれない不安と、診察の度に次回の予約があるので、10年以上も同じクリニックに行き続けているわけです。

高血圧などの治療も長いそうですが、関節リウマチの治療も一生続きそうですね。

行くたびに血液を採って血液検査をし、次回診察時に結果を知らせてくれるのですが、もう何年も「安定しているので大丈夫です」と言われるそうです。


「それなら、血液採取も体に負担になるから、毎回ではなく1回か2回置きにしてもらったら?」とカミさんに言うのですが、「毎回採る必要があると言われる」というので、まあ本人が良いと言うのでそれ以上口出しはしませんが、どうも腑に落ちないですね(;´・ω・)

そんなことで、今日も予約しているにも関わらず、2時間以上かかりました。
リウマチ専門内科でリウマチ患者だけな筈なのに、いつも満員です。

それだけ患者が多いということが察せられます。
統計では、全国で75万人から100万人のリウマチ患者がいるそうです。
なかなか大変なことですね。

私が行っている耳鼻咽喉科もいつも満員です。
老人だけでなく、病人は多いです・・・。

今日はこの辺で。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月14日水曜日

或るおじさんの定年事情

或るおじさんとは、私のことですが・・・ (;´・ω・)



          懐かしの定年風景、今もあるのかな?

プロフィールに、「65歳で定年・・・」と書いていますが、自分の定年が65歳だったのか、本当は60歳だったのか良く解っていません。

在籍していた、中小零細の会社では、過去65歳まで在籍したのは、同族の役員を別にすると1人、60歳も2人くらいで、就業規則も割とアバウトで、はっきり解っていないか、まあどうでもいいのかも知れないのですが。

こういう会社は、何だかんだ言っても、とても多いのだと思います。

60歳になった時、会社から「わたしさん、長い間ご苦労様でした。社員としては一区切り。来月から給料等はこのようになります。社会保険は65歳まで今まで通り。60歳の記念にゆっくり奥さんと一緒の海外旅行のプレゼント。・・・」(o^―^o)ニコ、というニュアンスのことを言われました。

このようにの内容は、”今後65歳の定年まで、今までの給料の約6割で、ボーナスは今まで通り。賃金が今までの75%以下になるので、厚生労働省の高年齢雇用継続給付金 が出るので手続きする。 この金額は給料の約15%になる”
というようなことでした。

海外旅行は残念ながら(・・;)、ヨーロッパではなく、2泊3日の韓国ソウル旅行でしたが、インターコンチネンタルホテル宿泊で、至れり尽くせり、かなり豪華な旅行で、カミさん共々満足でした。

はっきりした定年ではないので、その時点では退職金はありませんでした。

一般的に言う嘱託のような感じですが、厳密に言うとそうでもなく、正社員に近いが給料だけ6割というあいまいな存在でした。
全部の収入を合計すると、今までの8割位になったので、「まあいいか?」という感じで思っていました。

しかし仕事は今まで通りで、会社も同僚も手加減してくれません。(;゚Д゚)
朝は8時始業だけど7時位に出社で、責任も仕事量も同じ。

仕事が終わらなければ、夜も遅くなり、土曜出勤も正社員と同じローテーションで、給料は6割なので、心の中では不満が少しくすぶりつつ、仕事は大変でしたが、40歳を過ぎて正社員で雇ってくれて、65歳まで勤められるというのは有り難いことで、大人の対応をして65歳までの5年間、真面目に勤め上げました。(;´Д`)💦

これも少ない年金が、あと5年掛ければ、もう少し増えるという期待のためだといっていいでしょう。
心の持ちようとして、「60歳で定年になったと思い、あと5年働けて、給料がもらえて、年金も増えると思って我慢だな」ということですね。

今思うと、65歳までの5年間は、あっという間のように感じでしたた。
65歳になった時、「もし良ければ、1年ごとのアルバイトのような感じで勤めてもらってもいいですよ」とのことでしたが、辞退しました。

65歳で完全に定年退職ですね?
退職金は出ましたが、零細企業なので金額はそれなりですね?

その時は気がやや大きくなっていたようで、日産のノートの高めのグレードの新車を現金で買ったので、それでいっぺんになくなりましたよ(;´・ω・)
まだ9年乗っていたマツダプレマシーも調子が良かったのですが、3万円の下取り価格でした。

また今思えば、1,2年その会社でアルバイトしても良かったかな?
と思ったりもしています。
シルバー人材センターよりいいかもと思って。

これを読んでいただいている、60歳(定年)前の方に私の経験からのアドバイスをお伝えしたいと思います。

あなたが既に充分蓄えがあって、老後は悠々自適の生活が待っている場合は別ですがそうでない場合は、少なくとも65歳までは定年延長などで働き、社会保険を掛け、年金を少しでも多くもらえるように心がけるのがベターかと思います。

60歳を過ぎて、同じ会社の嘱託などになると、給料が安い割にはきつい、若い人に使われる、立場が微妙、自尊心・プライドが傷つくなどマイナス要因が多いかと思いますが、まあ出来る我慢は我慢ですかね。
深刻に考えないようにしましょう。

その先の65歳には、バラ色とは行かないでしょうが、少しはゆとりのある生活が待っているかもしれません(^^ゞ

但し、どうしても精神的・肉体的に我慢出来ないことになりそうな場合は、どうしようもありません。
家族の方や、近しい方、或いはお医者さんと相談して、対処した方が良いかも知れません。

60歳代もあっという間に過ぎますよ。
私は60歳の時、韓国旅行に行って、もう9年経ちました。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

ブログの広告で思ったあれこれ

今日は、ブログの広告について、思ったことなど書いてみようかと思います。

シニアのブログを徘徊していても、広告が表示されているブログも多いようですね、というか広告がない方が少ない。
いわゆる既存の無料のブログですと、本人の意思にかかわらず、自動的に広告が入るものが多いようですが。

定年で年金以外の収入がなく(または少なく)、ブログの広告でいくらかでも、子供の小遣い程度でもあればいいかなと、思っておられる御仁もおられると思います。

基本的にアクセス数が多ければ、ほぼ比例して、広告収入が多くなるようですが、何の場合でも、収入を得るということは、そう簡単なものではないということですね。

私のようなブログは日記ブログというか、雑記ブログというようなモノで、専門知識がなくても書けて、誰もが書こうと思えば書けるので、逆に多くの人に興味を持ってもらうのはなかなか難しいと思います。

ブログやホームページを作って、広告収入を得ようと思ったら、広告料の高い(と言われている?)保険、クレジットカード、投資などの分野で、読者の役に立つ記事を書いて、アクセスを集めて、関連の広告を貼る方法が一般的かも知れません。

気儘に雑記ブログを書いているおじさんでは、そのような「めんどくさいこと」には、なかなかやる気が起こりません。

広告を貼っているブログやサイトを運営している人で、月5,000円以上の広告収入がある人は全体の5%以下だという統計があるようです。

どんなことでも厳しい世界ですが、逆にいうと5%くらいの人が、月5,000円以上収入があるということは、凄いことだとも言えますね。

話がまとまりませんが、
今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月13日火曜日

森友問題が続いていますが

政治については、あまりブログに書かないのですが、森友学園「問題」というのが、延々と続いているので、その一連のなかで目を向けたい点が2つあります。

1つは、近畿財務局の担当部署の職員の方のこと。
もう1つは、窮地に立たされるかもしれない安倍政権と日本の今後。

昨年から国会は、森友学園「問題」にプラスして、加計学園問題を延々とやっていて、国会はこれだけではなく、他にも審議しなければならない案件が、沢山あるのではないか? と個人的には思っていました。

森友学園の件は、いろんな交渉の中で、近畿財務局が、学園に値引きをして、瑕疵のある土地を買ってもらったという認識で、どこに政府を追及する「問題」があるのかわからなく、それほど関心はありませんでした。

今年になっても、公文書書き換えなどの問題が収まらない中で先週、近畿財務局の学園側との交渉担当部署の職員が、遺書を残して亡くなったという報道がありました。

この方は直接交渉に当たっていたと言う報道もありますが、亡くなった原因が、窓口で携わった仕事の内容によるものか、昨年来国会やマスコミの追及が長引き、その対応・処理のための仕事量のため、ストレスが心身とも耐えられなくなったためなのか、現在わからないですが、痛ましいことです。

森友学園の経営者が逮捕され、その後にも刑事事件に発展しそうな問題があり、真相究明の前に職員が自ら命を絶ってしまったということは、
誰がこの方を追い詰めたんだろうな・・・?
重ね重ね残念で、お気の毒なことであります。

政治が絡む事件で、末端の担当者や関係者が、自ら命を絶つということは、記憶の中でも何度もありました。

今回のことが、過去の事件のようなことかどうかは、今のところわからないですが、問題の当事者になってしまった方には、同じような重圧がかかってしまうものだと、つくづく思います。

若いころには、政治や汚職事件で関係者が、命を絶ったことなどを見たり聞いても、「なんでそこまで追いつめられるのか?しななくてはならないのか?」と思ったものでした。

一般的に役所が行った値引きとか売却価格の決定・判断は、当然上司の決済があるはずなのですが、何か問題が起こった時には、最終的に担当者の責任が、最も重くなってしまうのでしょうか。

今の私の年齢になると、その立場に置かれた方の心身の重圧、精神的に追い詰められる気持がよくわかります。
でも命は1つしかなく、地位や仕事より、一番大切なものです。

今後も野党はこの問題で、政府や財務省を追及していくので、重大な案件の審議が滞って行かないことはないでしょう。
これで、内閣支持率が下がっていったりすると、政権が不安定になってどうなるのか?と思います。

平昌五輪が終わって、米朝首脳会談か?と言われている中で、日本の政治は不安定さが増していきそうです。
私にはそれも不安ですね。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月11日日曜日

向山貴彦氏の訃報

作家の向山貴彦さんの訃報 がYahooニュースにありました。
本日3月11日付けの読売新聞ニュースです。


向山貴彦氏 はあまり知られてないかも知れませんが、まだ47歳でした。
腎臓がんで療養中だったそうですが、無念だったことでしょう。

私は15年位前に、書店で何げなく目に留まった、この方(と母親の向山淳子氏の共著)のビッグ・ファットキャットの世界一簡単な英語の本」という英語を勉強する本を買いました。



今度こそ大丈夫 というキャッチフレーズでした。
面白そうで本当に簡単そうに見えたので、苦手な英語をもう一度やってみるきっかけになるかも?と思って買って、ボチボチ読み始めて自分なりに勉強していました。

英語の勉強のコツがユニークで、わかりやすい。
この本は断捨離せずに、とっておいて、今でも目を通していました。
今日の訃報を見て、改めてこの本を手に取ってみました。

これをきっかけに、また恥ずかしながら、英語を真面目にやってみようかな?と思った次第です。

合掌。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

まだ若くてカッコ良かったな~中村雅俊

中村雅俊のコンサートに行ってきました。
最後にコンサートに行ってから、もう10年ぶりくらいになります。

自分のことを「」というのも昔と変わっていない。
俺(私のこと)より1歳しか違わないのに、昔と全然変わっていなくて、カッコ良かったよ(;´・ω・)




カミさんが、「ふれあい」の頃からのファンで、(ていうか、実は私もフアンで・・(;´・ω・))10年位前までは、時々一緒にコンサートに行っていたのですが、ここの所は、だんだんと遠ざかっていました。

久々に、中村雅俊コンサートのチラシポスターを見て、「雅俊のコンサート? 懐かしいね~、 ポスターの顔全然変わってないね? 今回のコンサートに行ってみようか?」ということになり、前もってチケットを買い、コンサート会場へ(^▽^;)

オープニングは、総立ちの声援で始まり、10年ほど前に行ったコンサートより、活気がありました。
お客さん(フアン)は、やはり我々年代が多かったですよ。
何となく嬉しいですね。

43年間で、1500回を超えたコンサートをやっているそうです。
まさに持続こそ力なりですね。
半分以上の歌は、初めて聞いた歌でしたが。

雅俊の「ふれあい」の頃から40年以上、日本テレビの雅俊のドラマを見ていたころの自分が重なって思い出されます。

最も記憶に残るのが、1975年の「俺たちの旅」で、出演者の津坂匡章、田中健、岡田奈々、金沢碧、名古屋章、懐かしい!
檀ふみも少し出ていたような。

「ふれあい」の出だし、悲しみに~出会うたび~ あの人を~思い出す~♪♪ の、”あの人”のイメージは、わたし的には檀ふみですね。(;^ω^)
私(カミさん)の青春時代に檀ふみがいて、雅俊がいたんだな~。
そだね~(;´・ω・)

中村雅俊がデビューの頃、ジーンズに下駄をはいていたことがあり、私もかっこいいな(^^;) と思って、真似して学生時代、下駄をよくはいていました。

・・・よく考えたら、真似をしたんじゃなくて、その前から、下駄を履いていたのを思い出しました。
そうすると当時以前から、下駄は流行っていたか、一般的に履いているものがいたということかな?

ここだけの話ですが、学生の頃ですが、アルバイトの後、カミさんと横浜のとある駅前の喫茶店でデートした時も、何故かジーンズに下駄を履いて行ったのを思い出しました。(・・;)
今では考えられない、のどかな?時代でした。



数十年で、中村雅俊氏にもいろいろあったことで

しょうが、我々にもいろいろありました。

20代の青年が45年近く経って、定年リタイア

の高齢者なんで・・・(・・;)

あと何回かコンサートに行けたらいいね。・・・とカミさんが言っていました。
フォレスタもいいのですが、雅俊も良かったです。ハイ(^^;)

今日も読んでいただきましてありがとうございます。
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2018年3月10日土曜日

ヴィトンが似合ったかな?板垣退助

歴史の人物としては新しい時代、明治日本の軍人・政治家、土佐藩(今の高知県)出身、元勲 板垣退助(旧名 乾正形・退助)。
元勲というイメージではなく、「板垣すとも自由はせず」の自由民権運動の指導者というイメージが強いかと思います。

私の世代では、100円紙幣(1953年~1974年まで発行)でもお馴染みです?
70年代までは使っていましたね。
見たことがない方は、上の板垣退助のリンクで、下の方に出ていますよ。

板垣退助・天保8年(1837年)~大正8年(1919年)は       土佐藩上士・乾正成の嫡男として出生、幼名猪之助。
子供の頃は、腕白であったが、とても正義感の強い性格だったそうです。

土佐藩では武士の上・下士の身分制度が厳しく、ちなみに有名な坂本龍馬は、下士の中の郷士と呼ばれる身分だそうです。
郷士は土佐の山内一豊の前の領主、長曾我部氏の遺臣が多いそうです。

土佐乾家は何と?武田信玄の重臣の板垣信方の長男、板垣信憲の息子の、正信から始まります。

板垣信憲は不行跡を理由に、武田信玄から改易・追放されました。
幼少の息子の正信は浪人となり、長じて豊臣秀吉に見いだされ、山内一豊の家臣となり、その家老の山内備後守・乾和三より「乾」の姓の使用を許され、上士として乾(板垣)退助まで続きます。

後に乾退助は、土佐藩の勤王武力討幕派のリーダーとなり、戊辰戦争で土佐藩兵を率い、東山道先鋒総督府参謀として活躍します。
1968年2月、天領地の甲府掌握を目前にしたとき、岩倉具視の助言で甲斐源氏の流れをくむ板垣氏の姓に復したとされています。

甲州勝沼の戦いで、近藤勇の新選組を撃破し、武田家遺臣の多い、八王子千人同心を懐柔し、東北では仙台・二本松・会津各藩を攻略した軍功で、藩陸軍総督になる。

しかし驕ることなく、維新後すぐ、賊軍となった会津藩の名誉回復に努めるなど、公正な、正義感のある行動をとり、現在でも会津の人々から感謝されているそうです。

更に後に、元勲となり政府の重臣となったが、西郷隆盛らとともに征韓論を主張するが、岩倉具視らの穏健派によって覆され、ともに下野します。

後に自由民権運動を主導し、急進的な自由主義の自由党を結成し、その党は解散しますが、政治家として活躍することになります。
激動の時代の元勲であったが、一方、日本に自由と民主主義、政党政治の発展に力を尽くされた、正義と公正と自由な方ですね。

板垣退助は、明治維新を成し遂げ、明治時代を生きた中の最も尊敬できる政治家(の一人)ではなかろうかとと思っています。

なお、後藤象二郎と共に、立憲政治の視察のため、今から130年前の、1882~83年に渡欧していますが、その時ルイ・ヴィトンのトランクを購入したそうです。
45歳の頃ですね。
元勲にルイ・ヴィトンはお似合いだったのではないでしょうか。^_^;

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

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2018年3月9日金曜日

春の雨模様の日には本もいいですね

昨日に続き、今日も朝から雨でしたが、午後には上がりました。
今日はどこにも出かける予定はなかったので、家の掃除とネットの合間の、読書でした。

歴史の本は好きなので、こういった本はよく読みますよ(;^ω^)

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「絶体絶命」の明治維新 (PHP文庫) [ 安藤優一郎 ]
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書名 「絶体絶命」の明治維新
著者 安藤優一郎
発行 PHP出版(PHP文庫) 2018.1.18刊

著者の安藤優一郎氏は、早稲田大学出身の歴史家で、幕末維新特に島津藩や西郷隆盛、江戸時代、戦国時代の著書が多いそうです。

このような本を何冊も出されている著者を、おじさんは尊敬します(;´・ω・)

幕末になると、徳川幕府の権威は失墜し、薩摩、長州藩を中心とした勢力が明治維新で権力を握り、明治時代を迎えました。
ただ明治時代は最初から順風満帆とは行かなかった。

権力を握った薩摩、長州藩出身者などの確執・権力争いは熾烈で、明治10年の西南戦争の終結までの10年間は、明治政府は薄氷を踏むがごとく危ない政権運営を余儀なくされていた。

明治初年の、幕府の旗本・御家人の矜持、各地で反乱を起こさざるを得なかった士族たちの思い。
征韓論に敗れて、一旦は西郷とともに下野した板垣退助。
下野した後、反乱の首領にまつりあげられて失敗して、処刑された江藤新平など。

そして薩摩藩の10年間の動向と西南戦争、西郷隆盛、大久保利通、島津久光の思いなどが書かれています。

今NHK大河ドラマで、「西郷どん」が放送されていますが、明治になってからの西郷隆盛が、島津久光や、大久保利通など政府側の人間に対して、どのような思いだったのかが描かれるのかな? と思っています。

さらっと読める、「明治維新」の1冊でした。

朝・昼 手製野菜ラーメン、珈琲、牛乳、トマトジュース

夜 牡蠣の味噌汁、ホタテ・きのこ炒め、黄桜少々

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月8日木曜日

今日はスーパー買い出しでした

3月も早や8日。
あいにくの雨の中、スーパーに買い出しです。

8のつく日の買い物は、我が家ではイトーヨーカ堂です(;´・ω・)
このスーパーのの日というのは、ッピーデーと言うそうです。
1カ月3回のうち、2回は行っています。

今日の買い物は、食料品、雑貨品、消耗品など、
12,062+2,958+200=15,220円でした。
支払はnanacoで。


1回の食料品の買い物を、1万円以下に、と思っているのですが、超えてしまう場合も多いですね。
そんなに食べていないと思っているのに、食料品はけっこう買うものです。

この分で、5日分くらいはあると思うので、食料品は、1日当たり2,500円くらいかな?
節約生活ですと、やや多いかなと思う金額です。

雨の中だったので、軽と言えども、クルマで行ったので濡れなくて済みました。

このような買い物で、コーヒーを飲んだりして、3時間くらい滞在します。
年寄りの暇つぶしの楽しみの1つです(・・;)

変わり映えのない食事ですが

朝 珈琲、牛乳、トマトジュース、パン少し
昼 無し(抜き)
夜 Y堂で買った刺身などと焼き鳥、ご飯

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月7日水曜日

インターホンをテレビドアホンに替えた件

一昨日のブログで、新築以来20数年使ってきた、インターホンが壊れたことを書きました。
    
玄関インターホンが壊れた 3月5日

買い替える場合は、我が家のタイプは電源直結式なので、一応電気工事士の資格のある人に取り付けてもらった方が良いなと判断して、ネットで買うのはやめました。

品物も見たいので、結局大型電気店に行って見て、検討しようと出かけました。(これが昨日の午後のことです)
大きなフロアに、ドアホンが各種ならんでいた中で、パナソニックの最もシンプルな(すなわち安い)タイプのものが気に入りました。
玄関子機が黒のテレビドアホンです。

平日で空いていて、店員さんによく説明を受けたので、見て、検討するつもりだったのだけど、他は見ないで決めてしまい、翌日取付(工事)ができるということで、今日午前中に完了。(;´・ω・)

私には、実際に店舗で見てしまうと、検討はあまりしなくて、決めてしまうということが多く今回もこのパターンでした。

今日取りつけてもらって、取扱説明書を見たら、買ったタイプは電源コード式で、電源直結式というのも、別の品番がありました。

本来はこの品番を購入するのがベストだと思うのですが、購入したこのタイプでも、電源直結で工事が出来、問題ないと言うことで、安心はしたのですが・・・。
電源コードが余ってしまいました(;´Д`)

やはり、電気製品は、カタログを見て検討して、自分の家にぴったりと合うものにした方が良い、という当たり前の結論に達しました(;´・ω・)

2,3回ドアホンを試しに鳴らして確認したのですが、モニターも鮮明に映ってOK。
テレビドアホンと取り付け料で計22,000円也、カード1回払い。
まあ(やや)満足。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月6日火曜日

介護老人施設の悲劇

朝のYahooニュース(産経新聞)に次のようなニュースがありました。

96歳女性に熱湯かけ重傷、介護士逮捕・・・

和歌山県の介護老人施設で、24歳の介護職員が深夜、言うことを聞かない高齢の入所者に、コップ1杯の熱湯をかけて、大やけどを負わした、「またか」というのが正直な傷害事件です。

今までにも、こういった施設では、もっとひどい事件(し亡事故など)がたびたび報道されていて、今後も増えるだろうと思います。
老人にとっては増々受難の時代になってきたのかと・・・(;´・ω・)

この事件に関しては、背景など不明な点が多いので、簡単にコメントはできないのですが、高齢入所者側にも、24歳の加害者にも、考えさせられる様々な問題があると思いました。

私が思った高齢(入所)者側の問題

このような施設に入れるだけでも、幸せな方だ。
この高齢者の家族でも世話ができなくて、施設に任せている。
おそらく認知症の症状が出ているのだろう。
本人には自分の置かれている状況は理解していないだろう?
私もこの年齢や、境遇になるのもそう遠くない。
その時、施設にも入れなくなるかも知れない。

私が思った20代の介護職員側の問題

介護職員の仕事は賃金・労働条件とも過酷である。
その為若年者が入ってこなくて、入ってもすぐ辞める。
介護職希望でなく、他にないからやっている場合も多いのでは。
即ち介護職の使命などなくて、生活手段のみの職員も多いかも。
残った介護職員は増々過酷な労働条件になる。
20歳代の若者に、入所の高齢者の気持・境遇は理解できない。
入所者はただの、仕事をこなす対象に過ぎない。
その対象のあまりに理解できない行動に、切れてしまった。(゚Д゚;)

私も、年齢の割には若いと思っているのですが(^^ゞ、いずれはそうもいかないことは、薄々理解しています。

このニュースのような高齢者の状況になるなら、施設には入りたくないなあ~、そうなる前に逝きたいなあ~、というのが正直な気持ちです。

体が弱ってきたとき、それで尊厳のある後期高齢の最後を過ごせるのか、自分でも解りません。
その時になってみないと解らないのが本当のところです(;´・ω・)

朝 珈琲、牛乳、パン少し

昼 ピザ1切れ、紅茶

夜 日帰り温泉で、野菜天ぷらうどん
         (麺類が好きです) 
  帰ってから缶ビール1杯+チーズ(;´・ω・)

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月5日月曜日

玄関インターホンが壊れた

朝から春の雨です。
風はないのですが、結構強いです。

今の家に入居以来、20数年使っている、玄関のインターホン(ドアホン)が、とうとう壊れてしまったようです。


去年から音声が聞こえにくかったりしていたのですが、最近は内からも外からも聞こえなくなりました。

メーカーはアイホン(株)という大手の専門のメーカーです。
メーカーのHPを見てみると、いろんな情報が出ていました。
24年前の製品なので、修理はまあ無理で、新しく買い替えなければならないようです。

インターホンで、非常用ボタン付きで、コンセント内蔵型です。 店で買ってきて自分で取付ることは難しいようです。

 
そして、アイホン(株)に電話するか、ホームセンターや電気店で買って取り付けてもらえれば(^^;・・・という答え。

メーカーのフリーダイヤルに電話したら、大変混みあっているので、このままお待ちいただくか、時間を見て掛けなおしてくださいとのことで、とりあえず面倒なので電話を切る。

さて、明日でも近くのケー○デンキに行って、どんなのがあるか見てこようかな。

家も年月が経つと、いろんな所が劣化して、出費も増えてきそうです。

明日は晴れそうなので、外出日和のようです。
ついでに、公園の散歩などもいいですね。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月4日日曜日

トランプ大統領とCNNニュース

新聞は読まないので、海外ニューをネットで見ることが多いです。

Youtubeの動画でCNN等のニュースが見れるのですが、残念ながら英語の理解力がなく、海外(国際)ニュースは、パソコンでは、もっぱらYahoo!ニュースですね。(;´・ω・)

スマホではドコモのマイマガジンのニュースです。

ネットニュースを徘徊していたら、Yahoo!ニュースでCNNの次のような面白そうな見出しがありました。

トランプ氏、中国主席の任期撤廃を「称賛」 ・・・

トランプ大統領が、フロリダの別荘で開いた、非公開の昼食会のスピーチで、習近平国家主席の任期撤廃法案、を「ジョークを交えながらだが、上機嫌で素晴らしいと思うと称賛した」と報じました。

更に、「我々もそのうち挑戦してみるべきか」とも言ったとしています。

CNNが、スピーチの録音データを入手したそうですが、なんでこんな発言が記事になるのかな?興味深いです。

この日本語の記事だけでは、トランプ大統領の真意はなかなか見えてこないのですが、これを翻訳した人によると、原文は、本音ではなく、明らかに皮肉のこもった聞いたジョークだとしています。

聴衆の共和党の支持者たちも、このジョークが面白かったので、拍手したようです。

大統領2期目を念頭に置いて、ついジョークを飛ばしたかったのか、はたまた中国共産党の独裁体制を揶揄できるほど、アメリカ民主主義に余裕があるのだと言いたかったのかも知れません。

CNNも相変わらずトランプ大統領に対しては、皮肉の効いた?記事を書いていますが、これもやや悪意を感じる1つのニュースでした。

朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン2切れ

昼 手製焼きそば

夜 黄桜少々+チーズ、肉野菜炒めのみ

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月3日土曜日

年寄りの楽しみは、ネットの合間に読書

定年リタイアするまでは、定年になったら誰にも縛られずに、やりたいことをやろう。
旅行にも行って、本をいっぱい読めるなあ~(^^;)などと、思っていました。

好きなことをやれるけれど、そのうち飽きて暇を持て余すかもしれないかも?
その時は週2~3日パートかアルバイトしよう。
などとも、当時は思っていました。

定年リタイアして、もう3年8か月。

まだパートもアルバイトもしていません。

働かなくても、なんとか生活できるので、身を入れて仕事を探さないのが1番の理由ですかね。

ただ暇を持て余すかと思いきや、毎日これと言って何もしていないのですが、日の経つのがが早いこと・・・。

やはりネット環境があることが、一番の理由のようです。
年寄りの一番の見方はネットだと思います。

読書よりネットが一番です。
読書をしようと思ってはいたのですが、本はなかなか読む時間がないという感じです。

そんな毎日ですが、1冊、本を読みました。
あまり込み入った本はだんだん読む気がなくなって、推理小説や警察小説がいいですね?

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書名 複合捜査
作者 堂場瞬一
発行 集英社文庫

堂場瞬一の警察小説は、警視庁が多いのですが、この小説は、さいたま市、埼玉県警浦和中央署所属の夜間緊急警備班。

作者の創作の夜間緊急警備班で、主人公が班長が若林祐警部。
夜8時から朝8時までの夜間が勤務時間で、班員がローテーションを組んで初動捜査に当たるという設定です。

この作者の他の主人公のように、正義感が強く、行動的な警察官ですが、テンションの高さが際立っているキャラクターです。
若林とは正反対の性格の、副官の桜内警部補の存在も、光るものがあり、他の堂場作品と相まって深みを増しています。

さいたま市で夜間発生した、いくつかの事件を捜査していくうちに、1つに集約され、犯人に迫っていくというものです。

この小説に出てくる部署は、勤務が夜勤専門なので、先ず、まあ実際にあったら大変だろうなと思ったことでした。

最後はやや後味の悪い結末なのですが、最後まで一気に読みました。
テレビや映画で警察ものを見るのもいいのですが、小説を読むのもなかなかいいものです。

朝 珈琲、牛乳、トマトジュース、パン少し

昼 珈琲、のみ

夜 スーパーで買ったかつ丼、他


今日も読んでいただきましてありがとうございます。

いつもの日常でした

3月2日の1日、

8時起床、天気はいいが風強し、風速5m程かな。

午前中はパソコンに向かってあれこれ。

朝のコーヒーとパン。

昼頃、カミさんがフジテレビの「バイキング」などを見ていたので、一緒に見る。
レスリング協会のパワハラ・・・、初めて聞いたな。
相撲協会やレスリング協会、いろいろあるね。

録画していた、海外ドラマを1本見て、地元スーパーの特売「ご招待セール」に出かける。

食料品は28日にイトーヨーカ堂で沢山買ったので、今日は衣料品のみ。
めっちゃ安いのでたくさん買う。
私の下着とズボン= 5,000円
カミさんのあれこれ=15,000円
くじ引きがあったけど全部はずれ。

スーパーの後は、久しぶりに日帰り温泉。
2時間くらいいて、帰宅。

夜のご飯、あまりものなどで、済ます。

またパソコンの前。⇐今ココ

遅くなったのでもう寝ます。


朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン2切れ

昼 手製ラーメン

夜 ロールキャベツ、他残り物
  ご飯は食べない


今日も読んでいただきましてありがとうございます。

2018年3月1日木曜日

2018年2月家計支出計算しました

最近、「そだね~」が口癖になっている、団塊定年おじさんの、家計の支出を公開します。


1年位前から載せていますが、細かくは計算していません。
まあ何らかの参考になればいいですね(^^;)

2月分 家計 項目別支出
単位:円
住居
 29,200
電気・ガス代
 14,400
水道料
 14,600
ネット・通信
 12,300
食料品費
 51,000
外食費
 4,000
クルマ関係・交通費
 4,300
温泉費用
 3,000
パーソナルケア・衛生費
 14,000
医療費
 4,900
衣料品費
 8,800
消耗品費
 4,300
雑費・他
 3,000
保険・税金
 31,000
 199,000
※支払い日のかかる月を支出月にしています。
クレジット引落の場合も引落しの月が支出月です。
宿泊の国内旅行・海外旅行費用は除外しています。

今月は28日までということもあり、食料品がいつもよりやや少なかったので、なんとか20万円を切りました。
1カ月18万円以下で生活できればいいのですが、なかなかそうもいきません。

クルマは、今まで新車扱いで費用はあまりかからなかったのですが、今年の9月には最初の車検になり、徐々に経費が掛かりそうな感じです。

温泉は最近あまり行かなかったのですが、これからはまた行きそうです。

ゴルフなど費用の掛かるスポーツなどやらないし、娯楽の費用も雑費に入るくらいしかないので、普通の支出は20万円くらいです。
 
あとは旅行費用です・・・。
旅行は数少ない趣味の1つで、体が元気で、頭がまだしっかりしているうちは、やめられないですね。
これは計算から除外していますが、かなりいきます。(;´・ω・)

今日も読んでいただきましてありがとうございます。