2018年2月27日火曜日

非業の最期、英雄・護良親王

今日は「太平記」に登場する悲運の皇子、大塔宮護良親王を紹介します。
戦国武将のようには、あまり知られていないかと思います。
読み方が複数あるのですが、私は昔からおおとうのみやもりながしんのうと読んでいます。

出典:Wikipedia

子供の頃から、護良親王の話を、親父から聞かされていました。

延慶元年(1308年)~建武2年(1335年)享年28歳
後醍醐天皇の皇子であり、比叡山延暦寺の、天台座主でありました。
日頃から武芸を好み、自ら鍛錬を積む、きわめて例がない座主だったと書かれているそうです。

27年前の1991年、真田広之(足利尊氏役)主演のNHK大河ドラマの「太平記」がありました。
当時は食い入るように見ていて、今でもよく覚えています。

武田鉄矢の楠正成、高嶋政伸の足利直義役が印象的で、護良親王役は堤大二郎、凛々しく勇猛な皇子の感じを出していて、役にぴったりの好演だったと思っていました。

歴史上で、「無念」「非業」の最期を遂げた人物は、武将などには多くおられます。
この方は武将ではなく皇族なのですが、間違いなく、その言葉がピッタリの人物で、亡くなった私の父親が、尊敬していた人物であります。

「太平記」では、中世の歴史が大きく動いた後醍醐天皇の時代に、鎌倉幕府討幕を成し遂げた後、征夷大将軍となったものの、後醍醐天皇やその寵姫の阿野廉子と反目し、足利尊氏と争い捕らえられ、非業の最期をとげられた事が詳しく記されています。

鎌倉幕府を倒した功績は大きいものがあったのですが、まだ若く政治の経験が少ない、その後の行動は、周りの老獪な武将や、寵姫に振り回され、無念の最後を迎えるに至りました。

まるで、140年ほどさかのぼった、源義経の生涯のようにも感じます。

歴史にifはないのですが、もし護良親王が、征夷大将軍のまま、足利尊氏を倒して、政権を握っていたら、どんな社会になっていたのかな?と思ったりします。

逆に時代が100年も200年も遡ってしまったかも知れなかったですね。
或いはすぐに、応仁の乱のような、動乱が始まったかも知れません。

やはり歴史の中で、室町幕府ができる前に、護良親王の役目が終えたのは、歴史の必然だったのかと思ったものです。

護良親王に関心のある方は、下記の記事が参考になるかと思います。

護良親王          ウイキペディア
地域に名を残した大塔宮護良親王 五條市HP

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

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