こんばんは、俳句は苦手な団塊定年おじさんです。
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芭蕉と曽良 出典:写真AC |
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也・・・とあります。
月日(光陰)は、永遠の時間を旅する旅人のようで、やって来ては去り、去っていく年月もまた同様に旅人のようなものである。
というような意味の様です。
人生を旅人に例えることは、よくあり、石原裕次郎の歌にもあるようです。
この年(団塊世代の私のことです)になると、人生の旅もそろそろ一段落に近いようで、松尾芭蕉の俳句や、言われたことが少し理解できるかも知れないような気がします。
松尾芭蕉は、「おくの細道」で、東北から、越後、北陸を回って、美濃大垣に到着するまでに、多くの俳句を残しています。
特に越後で詠んだ句は、私は昔から親しんでいます。
そして越後も、美濃大垣も、私の人生にはどちらも、ゆかりのある土地なので、松尾芭蕉には昔から親しみが湧いているのです。
新潟は1年か2年に1回は行くのですが、大垣市にはもう10年以上行っていないので、またいつか行きたいと思ってはいるのですが。
私の旅も終わりがいつかは来るのですが、「カミさんより後にはなりたくないなあ~。先に逝きたいなあ~」と常々何となく思ってました。
以前からカミさんには「俺が先に逝ったら俺の葬式はやらなくていいよ」と言っているのですが、ただここのところ心境の変化で、でもその場合やっぱり苦労掛けそうだから、カミさんを送ってから逝った方がいいのかも?と思っているのです。
そうすると、1日でもカミさんより長生きしなくてはならないので、嗜好もほどほどにしなくてはと思っています。(・・;)
でもこればっかりは、「神(仏)のみぞ知る」ということですがね?
ただカミさんも「自分の葬式はやらなくてもいいよ」と言っているのですが、どうなることやら。(;´・ω・)
最近有名人でも伴侶を亡くされた方がニュースになっていたり、自分の妹やカミさんの妹も、夫を亡くしているので、時折真剣(マジに)に考えることがあります。
というか、そんな年になったのだな~と感慨深いものがあります。
今日も読んでいただきましてありがとうございます。
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