2018年1月5日金曜日

100年前の、大正時代に生まれの父親のこと

今年は1868年の明治元年(明治維新)から、150年です。

遥か50年前の1968年(昭和43年)、団塊おじさんが高校3年生の時、明治100年祭があったのを記憶しています。

その前年、わが高校でも記念行事イベントが行われ、歴史好きな団塊少年にはインパクトがありました。

明治時代は45年、昭和時代は64年あったので、存在感は大きいですね。

それに引き換え、明治と昭和に挟まれた、大正時代はどうも存在感が小さいと言えるかも知れません。

以上は前置きです。

この正月に、大正生まれの父のことを思い出して、父のことを書きたくなりました。

私の父は、大正7年、今から100年前の生まれです。
ということは、今生きていれば、今年100歳になりますが、もう25年前の平成5年、75歳で病気でこの世を去っております。

我々の年代の親は、大正生まれという方も多いかと思います。
100年前と言うと殆ど歴史の世界ですが、自分の親が・・・と思うと、結局自分も年をとったんだなあ~とつくづく思います。

所謂戦争に行った世代です。
徴兵されたのか、志願したのか不明なのですが、当時の帝国陸軍の、朝鮮半島の歩兵部隊に配属され、敗戦までいたそうです。

残念ながら、敗戦時にソ連軍に武装解除され、ソ連のシベリアから、中央高原方面に抑留されて、炭鉱などで過酷な強制労働に従事しました。

抑留されていたソ連では、栄養状態が悪く、も多かったので、肺疾患とマラリアになり、日本に帰ってからも中々いいおくすりがなく、後年まで完治せず悩まされ、75歳で亡くなった原因の一端にもなりました。

そのため、いまだに私が最も恐れる、嫌いな生物は「」なのです。

昭和23年にソ連から解放され、敦賀の港に着き、その後出身地で農具の製造、修理のいわゆる「鍛冶屋」を営んでいたのですが、うまく行かなくなり、昭和30年頃から、鉄工所に勤め、引退するまで「職人」又は「工員」をやっていました。

腕は良かったかも知れません。(;´・ω・)

一般に大正世代の父親も戦争を語らない方も多いと聞きますが、私の父も戦争時代の話を殆どせず、私も父の戦争時代のことを聞かずに、高校卒業とともに故郷を後にしました。

そのため、父親が帝国陸軍の朝鮮部隊に居たころの事はよくわかっていません。
もう少し聞いておけば良かったなと、後にして思いました。

手がかりはあるので、今年はそのことを調べてみようと思っています。

続きがありますが、また書きます。


朝 珈琲、牛乳、ジュース、パン少々

昼 きつねうどん

夜 昨日のカレー、おせちの残り


今日も読んでいただきましてありがとうございます。

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