今日は過去に行った海外旅行の思い出を書きます。
40代の後半になって、海外旅行に行くようになりました。
老後のこともあまり考えなかったので、貯金も少なかったのですが、「年をとって行くより、今のうちに海外には行った方がいい。何か得るものがあるだろう。老後は何とかなる。」と一番最初にニューヨークに行き、次はフランスと、計画を立てていました。
その頃、老後破産という言葉はなかったですが、若いときに海外旅行に行きすぎて、老後に貯蓄が無くなり、貧しい生活をしている、なんて話はときどき聞いていました。
私の場合も、旅行や車にお金を使いすぎて、老後が危なくなっていた危険も無きにしもあらず、というか70歳を前にして、まだ危険はあります。
決められた収入の、中小企業の勤め人にとって、定年になるまで、旅行などにお金を使うのを我慢して、ある程度余裕のある老後を期待するか、それは見ずに、何とかなるだろうと、お金があるときに旅行に使う
か、それぞれの自己責任になるのでしょうか。
ということで、本題になります。
家に1997年のカレンダ―があります。
このカレンダーだけは何故か、20年以上経っても捨てないで、壁に掛けています。
パリの街角の日本食寿司店で、年始に昼ごはんを食べて、そこでもらったカレンダーです。
”BASHA”という店名で、日本人が経営しているのかな?と思ったら、ベトナム人(らしい?)経営の店でした。
日本食がブームになる以前ですが、ぼちぼち寿司店などができ始めたころだと思います。
この店の味は、外国で食べる寿司で、外国人が作るにしては、まあまあ美味しかったです。
記念にもらったカレンダーは、気に入ってずーっと壁に掛けております。
初めて言ったフランスの思いでですね(;´・ω・)
この旅は96年12月30日から、97年正月にかけて、日本旅行のツアーで、初めてのパリでした。
今は日本発着便がなくなった、成田発ヴァージンアトランティック航空で、ロンドン乗り継ぎ、パリの同じホテルに6泊して、「あとはご自由に自分で好きなところに」というもので、ホテル送迎だけはついていました。
ホテルもパリ市のはずれのオルレアンというところにある、「イビス パリ ポルト オルレアン」という割と大衆的なホテルで、パンとハムと飲み物だけの朝食付きというツアー(意外とおいしかったが。)。
ここから朝9時前ころ、パリの街に地下鉄で繰り出すのですが、冬のパリはその時間でも、うす暗くて、4時と言えばもう暗くなりました。
街の中心から遠いホテルなので、早めに帰ることになりましたね。
安めのツアーですが、年末年始ということで、当時の旅行代理店の領収書を見ると、1日オプショナルツアー込みで1人227,200円でした。
この他に成田1泊や食事、土産などかかります。
中小企業労働者にとっては、決して安くはなかったですね。
オプショナルツアーは、31日にロワール地方古城めぐりで、雪がちらほら、とても寒かったです。(゚Д゚;)ブルブル
あとは、家内の希望の美術館めぐりが主で、パリの街をぶらぶら。
当時私は46歳、まだ若かったですね~(・・;)
💦
現在で、このようなクラスのツアーで、シーズンオフだったら15万円以下でも行けるようです。
パリの街は家内が気に入って、その後2回行きましたが、ホテルは
もう少し良いところと思い、2000年ゴールデンウイーク時、ソフィテル・パリ・サンジャックホテル。
2003年、年末年始に行ったときは、ノボテル・パリ・トウール・エッフェル(旧 日航ホテル・パリ)。
これが最後のフランスでした。
エッフェル塔のすぐ近くのホテルだったのですが、エッフェル塔は大混雑で、昇るのをあきらめました。
この時家内が帯状疱疹になって、「とても痛くて早く帰りたい
💦」と言われて困っていました。
保険に入っていても外国での病気はいやですね。
幸い帰国まで我慢できて、帰ってすぐ皮膚科に行きました。
これももう、14年も前になります。
これを書きながらいろいろ思い出してしまいました。
人生もあっという間に過ぎつつありますが、あともう1回くらいはヨーロッパに行きたいな~。
お金を貯めなくちゃ(;´Д`)
10年以上前に撮った旅行のアナログの写真は、フィルムとともにまとめて保管してあるのですが、出すのが面倒くさくて、そのままにしてあります。
いつ出せるやら・・・(;´・ω・)
今日も読んでいただきましてありがとうございます。