定年リタイア後、毎日が日曜日の生活をしていると、時々過ぎた昭和時代のことを、思い出すことがあります。
苦い思い出の方が多いですかね?
29歳(昭和53年)の時、東京都内のブランド品の輸入販売会社に営業で勤めました。
当時創業3年目くらいで、バブルを追い風に急成長していた会社です。
社長は当時42歳位。豪放磊落な性格でしたね。
その会社に営業で4歳ほど年上のTさんという先輩がいました。
当時Tさんは33歳で社長の覚えも良い課長職でした。
面倒見が良く、おさけが好きで、ヘビースモーカーでしたね。
営業力もありました。
おさけを飲むと、丁度漫才のギャグのように、よく後輩の頭をはたく癖がありました。
私もやられた口でした。(;´・ω・)
でもなぜか憎めない魅力があった人でしたね。
(今だったらパワハラと言われるでしょうね?)
その会社は新しい会社だったからなのか、社長以外は役員でも課長でも、全部「さん」付けで呼んでいました。
風通しはとても良いように思っていました。
和気あいあいという会社でしたね。
私はいい会社に入ったので、ずっと努めたいなと思っていました。
入社してからずーっと売り上げも順調に伸びていたのですが、
残念ながら、そのわずか2年後の、日も変わるころの深夜、会社の総務から「会社が不渡りを出しました。倉庫に債権者が来るかも知れないので、来てもらいたい。」という電話が来ました。
当時武蔵野市に住んでいたのですが、タクシーで都心まで飛ばしました。
タクシー代8,000円くらいだったかと思います。
社員の半分くらいが来ましたが、トラブルなどはありませんでした。
実はその不渡りは2回目でアウトだったのですが、不渡りを出す日の夕方、社長が終礼で「厳しい状況だったのですが、今日資金繰りがうまく行きました。売り上げも順調なので、ボーナスも出せます。」と言っていたので、当然安心していたのでしたが・・・。
その後の債権者会議で、倒産の原因は社長の”放漫経営”ということで。
Tさんはもとより社員は全員ばらばらになってしまいました。
でもバブルの頃だったので、失業しても悲壮感はなかったですね。
会社を辞めたこともあったので、何とかなると・・・。
(続きます。)
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