2017年6月10日土曜日

癌で亡くなった先輩Tさんのこと 続き

だめな会社がつぶれるのもあっけないものですが、人が亡くなるのもあっけないな~と、今もしみじみ思っている団塊定年おじさんです。

人間を70年近くやっているので、沢山の人を見送ってきました。
祖父母、両親、同級生、友人、知人、同僚、近所の人・・・。
遠くない、いつかは自分の番なのだけど、自分は見送れないですね?

さて、Tさんのことですが、彼は会社倒産後、同僚だった3名ほどで、個人営業で起業して、新宿に事務所を構えました。
今まで得意先だった会社・店舗を始めとして、徐々に拡大して、前の会社で扱っていた商品などを販売するという形態でした。

はたで見ていて、まあよくやっておられるという感じでした。
亡くなるまで、人数は増やさず、それなりに順調だったようでした。

私はその後、都内の小さな食品メーカーに就職して、Tさんとは仕事では関係がなくなったのですが、住居が近かったので、お付き合いは続いていました。
京王線沿線でよく飲みにも行きましたね。

京王線で都心に向かう時、同じ車両に乗るようにして、よく一緒になったものでした。

Tさんが42歳の頃ですが、「かずちゃん、最近虫歯が我慢できないくらい痛いんだよ。(-_-;)」とよく言っていました。
私も「Tさん、一度歯医者に行った方がいいですよ。」などと言ったりして、深刻には思っていませんでした。

Tさんが本当に我慢できなくて、歯科医に行ったときには、歯科医は異変に気づき、「(癌の疑いがある。)大学病院を紹介するのですぐ受診するように!」
この時のTさんの驚きと恐怖は、他人には想像できないでしょうね。

あとで聞いたのですが、虫歯の炎症が歯髄までいっており、それが喫煙による多量のタールなどの発がん物質の刺激で、癌化したのではないかということでした。
正確か否かは私には不明なのですが。

大学病院に即入院で、都合がつき次第手術だったと思います。

昭和の最後の晩秋のことでした。(昭和63年)
43歳のTさんは入院する前に、「かずちゃん、俺、とうとう癌になったよ。」と寂しく私に言いました。
まさか歯(髄)が癌になるとは! 私もショックでした。
私は慰める言葉がありませんでした。

当時は今よりもっと、癌は不治の病と思われていたものでした。
見舞いに行くたびに、素人目にも病気は悪化していました。

入院直後に手術前に大学病院に見舞いに行き、
2回目に病院に行った時は、Tさんは右のあごの骨と歯を全部摘出手術を終え、抗がん剤の点滴をしながら、病院を歩けたのですが、3回目に行ったときは、危篤になる寸前でした。

元号が平成になる前の年、昭和63年12月の寒い日にTさんは亡くなりました。
享年43歳。短い人生でしたね。
御夫婦に子供はいませんでした。

私はその時、39歳。まだ人生に迷っていました。
食品メーカーを辞め、その間に買った多摩のマンションを売って、脱サラもうまく行っていませんでした。寒い冬でした。

Tさんの葬儀は年末に多摩地区で行われ、東京でも、とても寒い日でした。
その葬儀に、倒産した輸入会社に一緒に勤めていた先輩(倒産時部長職)O氏が来ていて、数年ぶりに話をしました。

O氏に自分の(;´д`)トホホ💦 な現況のことを話したら、「それはお前が人生を欲張るからだ。」と言われました。
何となく言われることは解るのですが、私は何も言えませんでした。

30年近く前に言われた言葉が、今でも脳裏に浮かびます。
なぜか今でも記憶から離れない、忘れられない言葉です。

Tさんが亡くなったあと、昭和天皇が崩御され、昭和は終わりました。
昭和の終わりは、自分も含めて回りのすべてが寒かった記憶ですね。
まだバブルは続いていたのですが・・・。

私はその後数年間、まだ底辺で足掻いていたのですが、40歳を過ぎて、中小零細企業で正社員の職を得て、3年前の定年まで勤めました。
現在に至っています。
Tさんよりもう25年位長く生きています。
これもまた人生ですね。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。