35歳の時に少し無理をしてでも、家を買いたいと思ったのは、当時では自然の流れのような気がします。
西暦で1984年、バブルが始まっていて、中小企業に勤めていても、右方上がりで、頭金さえあれば何とかなると思っていました。
当時年収は300万円を少し超える位で、2,000万円を超えるローンは今考えると、かなり無理をしていたと思いますが、共稼ぎだったのもあって、何とかなるだろうと思いこんでいました。
住宅都市整備公団の分譲マンションを毎週のように見学に行き、とうとう契約してしまいました。
2,800万円の価格で、2,200万円のローンでしたね。
今までの賃貸のアパートや、マンションに比べると夢の様でした。
住まいは今のマンションに比べるまでもなく、快適なものでしたね。
当時の住宅都市整備公団の建物は本当に質が高いと思います。
床や壁が厚く面積が85㎡あり、リビングでエアロビクスが出来た位広かったですね。
2人暮らしですから・・・。
そのマンションを、3年ほどで手放すことになったのは、会社の仕事も中途半端だったのに、脱サラをしようとしたことですね。
いくらバブル時代でも、能力のないものには資本主義の泡もつかめませんでした。 今思う当時の感想です・・・(;´・ω・)
何度も書くようですが、自分の不甲斐なさ、先を読めない無謀さ、甘さが、自分の人生を挫折させました。
私にとって家というものは、人生そのものでしたね。
その公団のマンションに住んでいた3年間も、いろんなことがあったのですが、はるか昔のことになってしまいました。
若い人には理解できないと思う、バブル時代でした。
ローンが払えなくなりそうになって、1度そのマンションを手放したわけですが、何と楽観的に、懲りずにまた頑張って家を買おうと思っていました。
実際3年後に、田舎に1戸建てをローンで買ったのですが、その家も別の意味で失敗してしまいました。
銀行などの金融機関に、迷惑をかけたことは1度もなかったので、収入さえあれば、ローンは組めました。
もう30年も前のことになりますが、鮮明な記憶になっています。
あまり思い出したくない記憶で、リアルには人に話したくないものですが、ブログには書いてしまいました。
ブログってのは不思議なものですね?
続きもありますので、また書きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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