2016年10月24日月曜日

ステレオタイプという言葉について

どうも、団塊定年おじさんです。

ステレオタイプという言葉があります。
この言葉は私はなぜか、どうも好きになれないというか嫌いな言葉の一つでした。

よくニュースの解説や、時事問題にも、この言葉を使って解説している文や、○○をステレオタイプに言うな、と逆にいうような場合でも、この字を見るだけでどうもいやな気分でした。

じゃお前はなぜこの言葉について書いているのだと呆れられるかもしれません。
矛盾していると思いますが、すみません、あえてちょっと書いてみます。

この言葉(stereotype)は、印刷のステロ版(鉛版)の、印刷術から来ていて、判で押したように同じということのようで、もともと社会学の用語だそうです。固定観念とか紋切り型とか。

人の所属、職業、出身都道府県、人種、国等々、物事のとらえ方、見方についても、ステレオタイプが使われます。

例えば私のように団塊の世代という言葉は、どちらかというと悪い意味でよく使われます。たとえば、

人数が多い、年金逃げ切り、現役時代働きすぎ、高度成長をつくった?左翼おやじが多い。
学生運動をやって卒業と同時に会社にもぐりこんだ、わがまま、
自己中心的、「俺たちの若いころはな~」とよく言う、会社で人数が多いので後がつかえた?・・・・!

あまりいいことはないですね?
こう言う様に言われ続けて、「でも俺はちがうんだよな、そういう奴は、意外とすくないんだよ。」と思っている人も、私のようにいますね?

私はこのことがステレオタイプで言われたので、この言葉自体も嫌いにになったのかも知れません。
他の事でもよくあると思います。
先生(教師)は・・・ 警察官は・・・  今どきの若い者は・・・
新潟県人は・・・ 横浜人は・・・アメリカ人は・・・ イタリア人は・・・ 中国人は・・・ ○○大学卒は・・・ 理系は・・・等々

ステレオタイプという言葉で思ったことを、定年リタイアした団塊世代のおじさんが書いてみました。(;´・ω・)


今日も読んでいただきましてありがとうございます。