2016年10月16日日曜日

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞で思った

どうも、団塊定年おじさんです。

10月13日、今年のにノーベル文学賞が、ボブ・ディラン氏に贈られることがスエーデン・アカデミーより発表されました。
これに関して皆さんの関心は高いようです。

報道を見ていると、世界中から驚きと、賞賛と批判の声が出ているそうです。
批判は文学界や音楽界からが多いようです。
日本で若い世代をはじめとしてボブ・ディランの名前も、音楽も知らない人は、かなり多いようですね?

私はこの受賞の報道で、ボブ・ディランの名前を久々に聞いて、少し驚きました。
受賞に関する感想は「へ~すごいね?」というくらいでしたが、それとは別に、初めてこの名前を知った頃を思い出してしまいました。

昭和43年(1968年)、高校を卒業した年、「労音」主催の高石ともや のコンサートに行った頃からです。
高石ともやの受験生ブルースは人気になっていて、私もレコードを聴いていましたのでコンサートは新鮮でした。

その高石ともや のコンサートに、デビューしたばかりの、岡林信康が出演して2曲ほど歌ったのですが、こちらの方がインパクトがあったのを覚えています。
山谷ブルースと、チューリップのアップリケだったかな。

このお二人は当時から、ボブ・ディランの曲を翻訳して歌ってもいました。
日本のフォークソングの草分けと言われています。
ボブ・ディラン~日本のフォークはメッセージ性が非常に強かったので、日本の若者(団塊の世代)の左翼運動にもかなり影響を与えて行ったのでしょう。

私もその一人で、レコードをたくさん買いましたよ!
まだカセットテープがなかったころです。(;´・ω・)

団塊の世代というと、学生運動という言葉が浮かんでくると思いますが、当時の大学進学率は30%くらいで、3人のうち2人以上は高卒、中卒で就職して、殆ど工場や、事務員や店員として、社会の底辺で働いていましたよ。(;´・ω・)
まだ高度成長が始まったばかり時代のことです。

大学に行けるのは経済的にも、能力的にもかなり恵まれていて、進学意思の高い者だけの時代でした。
私はその頃、大学に行きたいなと思っていたので4年間働いて、お金を貯めて何とか大学に行きました。

私はボブディランの、風に吹かれてを聴き、翻訳の歌詞も覚えたりしていましたが、時とともに関心が薄れていきました。

日本にも何度か来てコンサートをやっていたのは知っていましたが、行こうと思うまでには至りませんでした。
他の多くの人がそうだったようです。
40年以上ファンの人もいると思いますが、それも素晴らしいことですね。

ここにきて改めてボブ・ディランの名前が世界的に出て、驚いたことです。
ただボブ・ディランにはノーベル文学賞は似合わないかもしれません。

ありがとうございました。

失礼します。