2016年10月11日火曜日

昭和の思い出の人々 続

こんにちは、団塊定年おじさんです。

昨日の思い出の人々を書いていたら、またもう一人を思い出してしまいました。3人目です。

高校を卒業して、名古屋近郊の工場に就職した時の同期のM君です。
彼は、”超”が付くほど真面目青年で、大学の夜間部に通っていました。

私は寮に入っていたのですが、彼は自宅から通っていました。
どいうわけか、入社した時から気が合っていて、ときどき彼の家に行ったりする仲でした。

私が4年目の夏に会社を辞める時に、その時乗っていた、スバルR2(中古で25万円で買って2年目)を使ってもらうことにしました。
「タダだとなんだから1万円だけもらうね。」ということで譲って、名義変更もしました。

彼にはいなかの実家の連絡先は教えておりました。
(昭和46年、今から45年前のことです。)


その後1か月ほどいなかの実家にいて、自分の力で大学に行こうと思っていたので、東京都内の働き先を探して寮に入らせてもらいました。
9月下旬のことです。

10月になって、M君から突然、都内にいた寮に電話がありました。
実家経由で連絡先を聞いたと言っていました。
この電話は知らせたなかったので。

「あのスバルR2で、どしゃぶりの雨の夕方に運転中、傘をさしていたお婆さん(高齢の女性)を轢いて重傷を負わせてしまった。
自分では任意保険に入ってなく、車検証入れによし吉の名義の任意保険証書が入っていた。それを、使わせてもらえれば助かる・・・・💦」
という内容で、消え入るような声でした。(;´д`)

もしかしたら、自賠責保険もそのままになっていたのかも?
保険の経緯の詳しいことは記憶が曖昧で、間違っていることがあるかもしれません、あしからず。

その後すぐに、いろいろな書類が送られてきて、印鑑証明書をとりその印鑑を押したり、いろいろ記入したりして返送。
それで、保険の手続きの方はスムーズにいったとのことでした。
私も一安心!

Mはもちろん、私の気持ちも、その保険証書1枚で救われました。
Mはその保険がなければ、賠償の自己負担が年収の何倍にもなっていたかもしれません。
私も、元の自分の車の事故で、M君が立ち直れないほどの負担を強いられたとしたら、何という気持ちになったか?

もちろん一番気の毒なのはその被害者です。
でも少しでも私の入っていた保険が役立ったとすれば、少しは救いがありました。

その後、何回かM君とは会い、年賀状は交換していましたが、50歳ころから途絶えています。
まだ元気でいるかな・・・・(;´・ω・)

この事件のあと、私は東京の片隅で一人ぼっちで仕事をしつつ、大学受験の勉強をしていました。
約5か月位でした。

その時のことを明日少し書きます。
本日はこれで。ありがとうございました。

それではまた。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

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