2016年10月10日月曜日

昭和の思い出の人々

どうも、団塊定年おじさんです。

昨日の続きの話になります。
2人目の思い出の人で、50年くらい前の思い出です。

高校を卒業して、名古屋近郊の工場に勤めました。
昭和43年(1968年)で、今から50年近く前です(;^_^A アセ・・・

当時交代勤務があって、自然と、不規則な生活を余儀なくされていましたね。
大企業でも定年が55歳という時代でした。
その頃の平均寿命を調べてみたら、大体男68歳 女74歳でした。

その頃で、ずーっと交代勤務をしている人は、55歳で定年になって、5年位つまり60歳くらいで亡くなってしまう方が結構多かったという印象がありました。

夜寝ないで仕事をするというのは、思っている以上に体に負担があるのでしょうね?
平均寿命までいかないというのは悲しいことでした!?

年金の支給は60歳からだったと思いますが、年金をもらう頃に寿命がきた人も多くいたようです。残念!
65歳以上は、ほぼご隠居でした。 

一般的には、今の私くらいの年齢が平均寿命だったのでした。
その工場は大きくて、メンテナンスなどで、常に多くの下請(関連会社)の会社の人が入っていました。

その下請の職人さんで、Nさんという人がいました。
当時、年齢が72歳の現役でいつも工場に来ていて、ときどき顔を合わせていました。
明るい元気なおじさんで、しっかり仕事をして、休みの日や、仕事が終わってテニスをよくやっていました。腕もなかなかでした。(o^―^o)

60歳位で寿命がなくなる人も多かった時代のことで、72歳のNさんは今でも忘れられない人です。
簡単に計算してみたら、1896年頃生まれで、120年前です。
明治28年位ですね?

夏目漱石先生が28歳のころ活躍していた、明治に生まれたおじさんが、肉体労働を、若い人と一緒にやっていました。
私が18歳の頃の懐かしい時代でした。

それではまた。