2016年8月9日火曜日

少年時代は、昭和30年から始まった

昭和30年代 Ⅱ

こんにちは、団塊定年おじさんです。

昭和も遠くなり、さらに昭和30年代は、はるか遠くになりました。
平成になってからでも、もう28年です。

「明治は遠くなりにけり」 という言葉があります。
愛媛県出身の俳人、中村草田男が、昭和6年、30歳位の時に、自分が1年ほど通った小学校を訪れたときに詠んだ句の一部だそうです。

昭和6年は、明治の終わりの年から20年経たころですね?
大正、昭和と時代の流れが早く、明治から20年で、 
明治は遠くなった  と、いろいろな思いを感じられて読まれたのだと思います。
この時代は激動の時代だったのですね。

そうすると、昭和の終わりの頃からの28年という年月もやはり、いろいろな大きな変化があった。
充分 昭和も遠くなりにけり と思ってもよさそうです。

私の昭和30年代前半の思い出の記憶 キーワード


映画館 (映画)

 このころは、娯楽が少なかったので、映画館が町のあちこち  
にあり、どこも客が入っていました。
私も映画が大好きで、小学校1年の時から、よく見ていました。

今でも記憶に残る映画は、紅孔雀 二等兵物語 日本誕生 
二十四の瞳 たくさんの東映の時代劇 
当時子供は、50円~60円で入れました。
親に連れて行ってもらった記憶はないので、一人か、友達と見に行ってました。特に東映には、月2回位行ったときもあります
 

海と海岸

日本海は自分達?の海でした。
日本海は太平洋の海より地味ですが、泳いだり、遊んだり・・・・・。水泳はわりと得意でした (・。・;
釣りもやりました。
海岸の砂浜で(砂)野球もしました。(;´・ω・)

ラジオ

テレビを、親が買ってくれるまで、ラジオは友達でした。よくお笑い番組を聞いていましたよ。落語や吉本の番組。NHK第二放送もよく聞きました。子供向けの番組が多かったです。
それに深夜放送。これは、後半まで続きます。

草野球
 スポーツといえば軟式の草野球でした。ほとんど毎日、放課後や日曜にやっていました。私は主にピッチャーでした (;^ω^)
他のスポーツは何もやりませんでした。野球をやるところはたくさんあったよ。海岸でもやりました。

このような小学生でしたよ。

読んでいただきましてありがとうございます。

今日はこの辺で失礼します。
 それではまた。