2016年8月9日火曜日

昭和30年代の半ば、テレビや遊び

昭和30年代 Ⅲ

こんにちは、団塊定年おじさんです。

昭和30年代の中ごろから、テレビが一般家庭にも入り、現在につづくテレビの時代が始まりました。
私は映画も好きで、やはりよく1人や、友達と見に行きました。

3本立てというのが多かったです。
封切館でなく、場末によくあった映画館で、東映や松竹の系列館です。子供60円くらいでした。
行く回数はテレビと反比例で、だんだんと減ってきました。

昭和35年、小学校5年生の時に父親が無理をして、14インチの白黒テレビを買ってくれました。
当時5~6万円位はしたようです。割と早く買った方だったのかな?
当時の父親は、40歳過ぎの働き盛りで、給料は、休みなく働いて3万円くらい?

昭和34年ころから、徐々に安くなってきたようです。
その前、昭和30年頃まで、1インチ1万円といわれて、14インチ白黒だと14万円の価格だったようです。車を買う感覚ですね。
公務員の初任給が昭和28年で8,000円位、34年で1万円位という時代です。

それでも、昭和35年の5~6万円を、現在に換算して比較すると、40歳働き盛りの労働者の2か月分の給料分、60万円前後のものを買う感覚ですか?。

すごく高い買い物だったようですね。
まだ、電気製品は大量生産が始まる前で、高級品でした。
でも、高い電気製品が飛ぶように売れる始まりの時代でした。
国民には成長の予感があり、未来に希望を持っていた時代でしたので皆さん子供のために無理しても買ったのかな。(;^ω^)

周りの家が、次々にテレビを買いだしたころです。
その前は、食堂などのテレビが置いてある店で、たくさんの子供が自分も含めて、見させてもらっていました。「番頭はんと丁稚どん」の大村崑が人気でした。CMは三洋電機とダイハツミゼット。
テレビでもよく、お笑い番組を見てましたよ。

吉本新喜劇、松竹新喜劇、上方漫才、NHK教育テレビの教育放送、・・・・・・。こんな記憶が最も強いです。
大村崑、藤山寛美、伴淳、花菱あちゃこ、横山えんたつ、CMは明治金鶏カレー。

外の遊びは、あいかわらず草野球と冒険?
当時の住んでいた日本海の町はまだ何にもなく?、田んぼが広がっていました。

そこに、友達同士でザリガニをよく取りに行きました。
べつに食べるのではないですが、取ったザリガニを道路にまいて、車に轢かせて遊んでいた。
今考えるとひどいことをしたな~? ザリガニくんゴメンなさい!

そのほかは、昆虫採集。バスで結構遠くまで行きました。

当時は、畑と林と草むらと砂地、昆虫採取にうってつけの場所がたくさんあり、よく行きました。

地元の農家の人が、私たちガキどもが町の方から来たと知ったら、「へー!そんな遠くから来たの」と言われました。

帰りにみんなで、お店でコロッケを買って食べました。1個5円。今でいうファーストフードですね?
バスも市内子供は5円でしたよ 。(o^―^o)ニコ
1日、50円もあれば楽しく遊べました。

今思うと、父親は、日曜もなく働いていたようで、遊びに連れて行ってもらったりしたことは、一度も記憶がないですね。
また、外食に連れて行ってもらったことも、殆ど無かったですね。
よく働いた親でしたよ。このころの親は、そういう人が多かった?

昭和30年代後半はつぎに書きます (;´・ω・)

今日はこの辺で失礼します。