2016年8月1日月曜日

自分の人生の分岐点って いくつもあった

そういえば人生の分岐点っていっぱいあった



こんにちは、団塊定年おじさんです。

この7月で、定年リタイアしてまる2年が過ぎてしまいました。
今日から8月、リタイア3年目に入ります。(`・ω・´)

この2年間、全く生産的なことに関わらず、そうかといってボランティアもやるわけでなく、消費だけはしてしまいました。
ほんとは、かっこつけてリタイアなどといっても、僕はただの無職の団塊おじさんというだけなんです。(・_・;)💦

消費だけの人生は、ほんの僅かに我が国の経済に寄与している? かもしれないですが、我ながらこれでいいのかな?とやや不安に思いつつ・・・・・8月になってしまいました。

3年目は、方向を少し変えて、少し積極的に生きようかな?などと考えを巡らせています。

いろいろな選挙が終わって、世間が少し静かになってきたので、自分の人生を少し振り返ってみたりしています。

因果応報とか、原因と結果という言葉がありますが、今の自分があるのは、過去の自分の分岐点での選択の積み重ねの結果ということですね。

分岐点といっても、人生には無数にあるはずですが、主なものを考えてみると、自分の分岐点は
貧乏なりにもっと勉強していれば
どの学校に入るか
高校で終わるか、大学に行くか
どの会社に入るか
その会社をやめるかやめないか
どの会社に転職するか
脱サラするかしないか
どこに住むか
家を買うか、売るか
車を買うか買わないか
誰と結婚するか、あるいはしないか
どんな友人をつくるかつくらないか・・・・・

考えたらきりがなくなりますね?

学校について考えると、ストレートで国立大学に入れたら?
会社では、大学新卒で大企業に入って、定年まで勤めたら?
今の人生はどう変わっていたかな?これは妄想です

人生の、とあるどこかでその時と違う選択をしていたら、今の人生はもっと良くなっていたか、悪くなっていたか?

?マークばかりつきますね。

過去には戻れませんので、わからないというのが答えです。

その、すべての分岐点で、自分が「よし」と思った決断で選択をしているのですね。
それで、いまのやや残念な自分があるとしても、これも「よし」とします。(;´・ω・)

60代もかなり過ぎると、仏教的な考えにもなってくるようです。
因果応報という言葉は仏教用語ですね。

この先、私たちは最期の日まで、自分の分岐点で選択をしなければいけないですね?
まあ、団塊おじさんにはこれも楽しいですが。

早速、明日の朝、パンを食べるか?、ご飯を食べるか?、あるいは昼まで何も食べないか? の分岐点があります(`・ω・´)

すみません、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

今日はこの辺で失礼します。