2016年8月11日木曜日

昭和39年で子供を卒業?長かった昭和30年代

昭和30年代 Ⅴ


こんにちは、団塊定年おじさんです。

長かった昭和30年代でした。
世の中が大きく変わった年代でもありました。
もちろん、個人的にもです。

始めの昭和30年は、まだ、戦後という言葉がしっかり残っていた年でした。

ベビーブーマーの我々は、小学校の教室が足りなくて、二部授業ということがありました。
児童の半分づつ、午前と午後、授業を受けることです。
あまりに子供が多すぎ、街や学校は空襲で焼けた後遺症です。
傷痍軍人が街にたくさんいました。
空き地がたくさんあった。
社会全般がまだ貧しかったですね。

出生数を調べてみると、
昭和22年  267万人
昭和23年  268万人
昭和24年  269万人 (昭和47年以前は沖縄県を含まず、万人未満切り捨て)
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平成26年  100万人

現在の2.6倍の数ですね。(;´・ω・)

終わりの年の昭和39年は、なんと東京オリンピックです!
日本の力はすごいですね?

「10年ひと昔」と、よくいわれたものでした。
10年は、社会が大きく変わるのに十分な年月ですね(`・ω・´)
  
昭和37年から、中学生でした。
中学生の自分の記憶は、

校庭の桜が美しかったこと。

1~2年までは、よくけんかをした。

教師に怒られて、頭をぐりぐりやられたこと。

試験の成績を学年の1番から末番まで廊下に貼りだされるので、勉強を急に一生懸命やるようになった。
でも大学に行ける見込みがなかったので、そこそこだった。

町内の生徒とだんだん遊ばなくなった。草野球もしなくなった。

おとなしい目立たない中学生になった?

映画にもあまり行かなくなった。

日本海の海岸で、海を見るのが好きな少年になったこと。


あっという間に中学時代が過ぎてしまった、~様な (-_-;)

今日はこの辺で失礼します。

読んでいただきましてありがとうございます。

また明日。

今日も読んでいただきましてありがとうございます。

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